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釣行記

釣行レポート

2015年2月26日

なぜ釣りをするのか

 私の仕事は、まあ、いろいろです。そして、どれもたっぷり金を稼げるというわけではありません。
 もとより、仕事は金を稼ぐためだけのものではない。仕事は自分にとって人生の試金石のようなものでもあるでしょう。どういう方法をとればうまくこなせるか。よりはかどるか。世間さまのお役にたてて自分の人生のためになるだろうか。そういうことに知恵を絞る。それこそが仕事をやっていく上での楽しみであり、おもしろさだと考えます。
 また、私は仕事というのは公共のため、つまり世の中のためが七割、自分のためが三割。この程度の心づもりでもって働くのがよい塩梅の仕事ぶりだと思っています。なにもきれいごとを言っているのではない、誰もがそのくらいの気持ちで働いていれば世間というものは一層うまいぐあいにまわっていくではないでしょうか。自然とそうなるはずでしょう。

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アベレージサイズのアマゴ

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堰堤手前の小流れで出たアマゴ

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大型のカゲロウをよく見かけた

 お金は天下のまわりものものだとはよく耳にするフレーズです。でも、本気でそう考えている人がどのくらいいるかは疑わしいと思います。でも、世間さま七割、自分三割なら、そのうちめぐりめぐって来て、自分も恩恵を授かれる。社会的に質の高い厚生福理を受けられるにちがいない。そう考えられないでしょうか。
 むろん、国民の多くが同じ方向性を持たないと実現しないのはわかっています。
 現代人は抜け目がありませんし、自分だけ得をしようとしてきょろきょろあたりを見まわしてばかりいるのも確かでしょう。それが「本性だ」と陰口をいう人もいます。抜け駆けだって平気です。そういう人が少なくない。それは確かにそうです。
 でも、やっぱり仕事は、「おまえは、これをやりなさい。誰かがやらなくちゃならんのだから」と言って天から与えられるものでしょう。自分で選んでいるように思えても、あんがい選ばされているだけなのかもしれません。

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筆者お気に入りのナイロンライン

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水深のある瀬でヒットした

 だから、金を稼ぐためだけに仕事があるわけではない。
 それなら、「どうせ食えないのだから、日本に釣りのプロなどわずかしかいないよ。ほとんどは兼業さ」と、他人にくさされても、本気で釣りを追及する姿勢を崩さない者にとっては、その人はプロの釣り師を自負していいのではないでしょうか。
 昔は、学問は金儲けの道具ではない。仕事は金儲けの手段ではない。そのことをわかっている人が結構いたのだと思います。
 むろん、飯を食わないと人間は死ぬ。衣食住は最低限(国家によって)保証されなくてはならないし、最低限の暮らしを保証するのは政治の務めだと考えます。何も私だけがそう考えているわけではありません。私が、そう説いたところで、「考えなしの人間が何を抜かしやがる。ただの釣キチが!」そうおっしゃる方もきっとおられるでしょう。でも、評論家の小林秀雄がとっくに論じているよ、と、そういえば少しは耳を傾けてもらえるかもしれませんね。きっと、信じてもらえるでしょう。じつは、小林秀雄が実際にそう申しておるわけです。私の記憶ちがいでなければ、どの本だったか忘れましたが、たしかに小林秀雄がそう書いていた(はずです)。
 とにかく、最低限衣食住は国家が保障する。そこから先は、自分の裁量で生きていきなさいよ、国はそこまで責任は負えませんからね、自分の足で立ちなさいよ、というのが本当でしょう。
 でも学問も仕事も、それで食えなければ、食うための銭はよそから引いてくるしか手はない。実際そうするより仕方ありません。すると、スポンサーでもパトロンでも、好きに探せばいい。人生の目的として、べつに学問でなくても、たとえば釣りを追求したいのなら、その人はためらうことなくそうすればいいのです。それだけでは飯が食えなくて生命維持が危ういというなら自分で別の仕事を見つけて働いて稼いで食えばいい。釣りを追求するのに釣りで稼ぐ金では到底追いつかないなら、他で稼いでつぎ込めば済む話です。学ぶとはそういうことでしょう。何かを追求するとはそういうことです。
 自分の生きていく上で釣りとは何か、どうして自分は釣りが好きなのか。そこをとことん突き詰める。
 わたくしごとで僭越ですが、私のばあいは五十年以上釣りに親しんできたわけですが、どうしてやめずに今日まで来たのか、真剣に考えてみてもわかりません。誰かのお役に立っているかというと、まちがいなく大して役には立っていないでしょう。ほとんどダメだと言っていいかと思います。でも、自分のためにはなっている。自分のためになっているところが少なからずあるから、今日までやりつづけていられるわけだと考えます。

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堰堤下の流れはじっくり時間をかけて狙いたい

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夕暮れに出た満足のいくサイズ

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堰堤のプールで出た幅広のアマゴ

 私は釣りの腕前においてはプロだとは恥ずかしくてとても言えません。
 釣りに出かけて、釣果は二の次なのですから、技量の高さを誇れるはずもないのです。
 でも、自分にとって釣りとは何だ?
 そのことへのこだわりは、なかなかどうしてプロなのですね。プロ級と自負してよい。そう考えます。本気で考えてきましたからね。現在も考えつづけていますものね。
 きっと、死ぬまで考えつづけるのかもしれない。
 どうせ、答えなんか出やしないでしょうけどね。
 そのようなわけだから、こんなところに儲からないことを書いて、釣りに出かけて、また考えて書いて、そういうことを平然とくり返しているのです。
 そして、このこと自体、私に生きる張り合いを与える一つになってもいます。けれども誰かのためになっているかは不明です。雑誌の仕事も同じでしょう。自己満足の域を出ていない可能性も否定できない。そう考えます。読者はゼロではないのはたしかですから、少しは他人のお役に立てているのかもしれない。それにしたって自分のスタイルを誇示するタイプの人間ですから、ああ書け、こう書けと注文されてもやりたくないことは梃子でもやらない。いやなら、書かないわけです。
 そんな臍の曲がったオッサンだと知っていても、書いてくれと言って来る者がいるというのは、そう言ってくる側にもやはり何らかの利益があるからでしょう。それをお役に立っていると考えてよいのなら、まあ、書くしかないですね。
 くどいようですが、釣りをする意味を考えつづけている点では、私はプロ級ですからね。
「そんなこと言ったって、好きでやっているのだろうが。釣りに行きたいだけだろう」
 そうおっしゃる方も少なくないかもしれません。
 でも、私もそう思うことがあるにはありますが、自然のなかで過ごしていると、とくに山岳の沢で夏場にイワナを釣っているときなど、心も体も両方とも軽い。まるっきり「自然」な状態に思えます。そう自身で納得できる。
 そうしていると、そのうちに、また、釣りっていったい何だ? ってね。
 堂々巡りですよ、結局。また元にもどって来ちゃう。
「俺にとって釣りってなんなのだろう?」ってね。
 どうでもよいことだといえば、たしかにどうでもよいことにちがいありませんけどね。
 ・・・・・
 おっと、いけない。
 なんだか取り留めのないことを書いているうちに、今日も釣りに出かける時間となりました。今日は、家の近くの野池へブラックバスを狙いに行く予定なのです。ジャンプ高松店の水上くんに薦められて買った金属製のバイブレーションを試しに行くのですが、このルアーは活性の低い冬場のブラックバスに絶大な効果をもたらすということで、その売り口上に乗せられて色違いを二個も衝動買いしてしまいました。
 もし釣れたら、またの機会に記事を書こうと思いますが、何せブラックバスに関してはまだまだ新米なもので、どうなりますことやら。
 では、したくもありますので、今日はこのへんで失礼!

【今回の使用タックル、ライン】

ロッド : ウエダ STS-501MN-Si
リール : ダイワ ニューイグジスト2004
ライン : ユニチカ シルバースレッド トラウトクリアー4lb

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