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河西 昌枝(かさい まさえ)
県立巨摩高等学校卒業後、1952年、実業団バレーボールの雄 大日本紡績梶iニチボー)貝塚
(その後ユニチカとして日本リーグに参加)に入社。59〜64年までの6年間、国内外の試合に
おいて無敗175連勝を誇る。62年、モスクワで開催された世界選手権で旧ソ連を破り、優勝。
このとき、地元プラウダ紙につけられたニックネームが「東洋の魔女」。64年、東京オリンピックでは
回転レシーブや変化球サーブを駆使して金メダルを獲得。空前のバレーボールブームを巻き起こす。
65年、ニチボーを退社し、3児の母に。アテネオリンピックでは、全日本女子バレーボールチーム団長として参加、
現在も日本バレーボール界の躍進のため、全力を注いでいる。 2009年には日本で7番目となる世界バレーボール連盟殿堂入りをする。 |
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広瀬 美代子(ひろせ みよこ)
兵庫県の舞子高校を卒業後、ユニチカへ入社。レフトエースとしてレシーブ賞を受賞するなど
「拾うバレー」を展開し、多くのファンを魅了した。
モスクワオリンピック(日本は不参加)、ロサンゼルスオリンピックの日本代表選手としても活躍し、銅メダルを獲得。 |
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中西 千枝子(なかにし ちえこ)
高校界の名門、博多女子高校時代よりセッターとして頭角を現し、1985年にユニチカへ入社。 全日本選手権大会や日本リーグ(現Xリーグ)での優勝を含め、数々の戦歴を誇り、幾度も最優秀選手賞、 ベスト6賞・レシーブ賞などを受賞する。 全日本代表としても1986年から1996年の10年間セッターとしてそして全日本の主将としても活躍。 バルセロナオリンピック・アトランタオリンピックに出場。日本の司令塔としても活躍した。 |
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坂本 清美(さかもと きよみ)
全国でも古豪である大阪の四天王寺高校を卒業後、東洋紡へ入社。1991年には猛打賞を受賞。
ダイエーへ移籍後もレフトエースとして活躍。世界選手権、
アジア大会などでも日本代表として活躍し、アトランタオリンピック代表選手。 |
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佐伯 美香(さいき みか)
名門の成安女子高等学校を卒業後、ユニチカに入社。 低身長ながら一年目より機動力と瞬発力を武器に男子顔負けのパワフルスパイクで一世を風靡する。全日本入りを果たすと共にアトランタ五輪代表にも選出され活躍する。1977年、ユニチカを退社後、本格的にアウトドアのビーチバレーに挑戦する。 ビーチバレーにおいても頭角を現し、シドニー五輪・北京五輪の代表として活躍、初代ビーチバレー女王として君臨する。 |
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宇津木 妙子(うつき たえこ)
星野女子高校(埼玉県)卒業後、1972年プレーヤーとしてユニチカ垂井工場入社。
選手時代には全日本総合・日本リーグなどにおいて優勝に導き、選手としても数々の国際大会を経験する。 1986年には日立高崎(現:ルネサス高崎)女子ソフトボール部監督に就任。 当時、日本リーグ3部だったチームを1部へ昇格させ、全日本総合選手権大会・日本リーグ・国体での 優勝を含む数々の戦績を収め、その手腕を発揮する。 また1998年より全日本ソフトボール女子ナショナルチームの監督として就任。 アジア・世界選手権を経てシドニーオリンピック(銀メダル)・続くアテネオリンピック(銅メダル)など輝かやかしい戦績を収める。 昨年10月には国際ソフトボール連盟への殿堂入りも果たす。 現在 ルネサス高崎女子ソフトボールチームシニアアドバイザー 財団法人 日本ソフトボール協会常務理事(普及委員長) 財団法人 日本体育協会スポーツ少年団 副本部長 財団法人 日本体育協会 日本スポーツマスターズシンボルスポーツメンバー 文部科学省 中央教育審議会委員 |