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釣行記

釣行レポート

2011年7月17日

男爵と沢へ行く

右にふらっ、左にふらっと振れて、ちっとも落ち着かない心の錘が、まっすぐ垂れて止まった。ようやく重心が保たれた。
「やあ、いい天気になったな。暑くもなく寒くもなく雨も降らず風もない。のびのびしちゃうな」
「それより、ここを降りるのか?」
ちょっと男爵はひるんでいるかのようにみえる。
「そうだ」
「この前、連れて行ってもらった沢な。あそこは、車から降りてちょっと土手をくだると、もう釣り場だったぜ」
「あれはあんたがズブの素人だったから気を使ったのさ。あれから二年もたっている。もうベテランだ」
「二年って、それはそうだが、あれから吉野川の本流へいちど連れて行ってもらっただけで、渓流は二回目やで」
「二回でも三回でもおんなじよ。さあ行こう」
私たちは沢へ降りていくために、小尾根の稜線に沿って歩きはじめた。左右は切り立った断崖である。少なくとも男爵にはそう映ったことだろう。じっさいは樹木が谷の底まで豊かに青葉を繁らせていて、下草が初夏の色をたたえている急な斜面にすぎない。
稜線は平坦にしばらくのあいだ奥へと向かい、あるところからにわかに急降下しはじめる。手をつかないと降りていけないようなところもあるにはあったが、稜線に沿って進み数十分ほどで、私たちは沢のほとりへと降り立った。
「いやあ、涼しいなあ。汗がすうーっと引くわぃ」
男爵は襟をパタパタやってシャツのなかに冷気を送り込んだ。
「そうだろう。これぞ、開放的気分ってやつよ。わかるか?」
「開放的?」
「そうだ。山に呼ばれて集まるあの夏雲なんかよりもずっと自由で開放的で、ここに今いる野郎はあんたと俺と二人だけで、議論を戦わせる必要も、ののしりあう必要もない。陰口も聞こえてこない。耳を澄ます、澄まさないにかかわらず、陰気なヒグラシの声を聞くばかりだ」
「それがどうして開放的なんだ?」
「・・・・・」
「開放的っていうのは、俺はまた夏のビーチのああいう気分を言うのかと思ったぜ」
「あれは、まだまだ、序の口三枚目よ」
「俺には、ちとさびしい環境だな。ここは」
「そりゃあ酒抜き、女抜きだからな。でもな、俺なんか山で釣りをしていると右にふらっ、左にふらっと、どうもうまく保たれなかった重心が、ぴたりと決まる感じがするね。心身ともに、そんな感じがするのさ」
「そんなものかね。まあ、魚が釣れるなら、俺に文句はないさ。せいぜい釣らせてもらうとしよう」
いい年の二人がうだうだ言い合いながら仕掛けをてきぱき組みあげていく。
男爵のところは、稼業が運送屋で、生コン会社で、タクシー会社で、他にもあれやこれやとやっているらしいが、私は商売に疎い人間だから内実はよく知らない。また知りたいとも思わない。まあ、ウマが合うから一緒にこうして遊んでいるだけのことだ。
「あんた、他になにして儲けているの?」
「ほかに?」
「そう、他に、よ」
「たいしたことはやってないよ。それに、このご時世、何やっても儲かりますかいな」
ちょっとこの言い草、なにやらはぐらかされているようで少々納得いかない節もなくはないが、何か引っかかるが、まあいいや、さっさと釣って、男爵がイワナを持った写真を何枚か撮ったら家へ帰って、また仕事に励むとしよう。そう思って、立ちあがると、すでに仕掛けを何回か投げ込んで釣っていた男爵が、「あっ!」と声をあげた。
みると、岸壁の上の樹の枝を下から見上げている。
「何やってんの」
「いや。手元がちと狂って、上に飛んだんだ」
「あのな、樹の枝を釣ってどうするのさ。まったく」
私は平水の沢を渡って岩壁をよじ登り、樹の枝をたわめて、「男爵。早くはずせよ。届くだろ」
すると男爵が、背伸びをしながら、「身軽やなあ。猿の生まれ変わりみたいや」と言ったので、「こうしてここから見おろすと数段ゴッツイなあ、あんたの顔」と悪たれをついてやった。

その後も、男爵は、あっちの樹の枝、こっちの沢の底というふうに頻繁に引っかけて、何個かルアーを失った。
「前に連れて行ってもらった沢みたいに広々としているならまだしも、樹や岩で障害物だらけだし、流れの小さい場所が多いから、やりづらくて仕方がない」
「まあ、そう泣きごとを言いなさんな」
「泣きごとじゃなく、事実をいうたまでや」
ところが、そんな風にちょくちょくミスをやらかして閉口する男爵が、たまたま小さな堰堤下のプールの脇の巻き返しに上手にスピナーを投げ込んだと思ったら、数回リールを巻いただけで、ロッドの先がガクッとお辞儀するのがそばで見ていてわかった。
元来、反射神経のよい男爵はすかさずアワセを入れた。
すると、そのとたん、ロッドが綺麗な弧を描いてしなった。のけぞり、ためにかかると、ロッドはなお大きく弧を描いた。
「男爵。前に出ろよ!」と私は言った。
いまルアーに食いついて水中をかけまわるイワナと男爵のあいだには、水面から顔をのぞかせている岩の塊が横たわっている。
男爵は咄嗟に前へ進み出て、岩にラインが擦れないように、巧みにロッドを操作した。どうやら事なきを得たようである。
ロッドを寝かせ気味に引き絞った男爵の馬鹿力に恐れ入ったか、岩のこちら側に誘導されたイワナは、もうさほど暴れる気力を持ち合わせてはいないようだった。
男爵は、これはいけると見たのだろう、そのまま後ずさりして岸へとイワナをずりあげようとした。水のなかからイワナが姿を見せた。わりと大きい。しかし、その直後、石の岸辺にずりあげられたイワナがものすごく暴れた。もんどり打って地べたの上で跳ねまくった。その拍子に、フックが口から外れた。慌てた男爵が駆け寄る間もなく、イワナは本能的に水のある方へと跳ねていく。水に戻ったイワナは、まさに水を得た魚となって奥の深みへと一目散に走って逃げた。
「万事休す!」と男爵は天を仰いだ。
「おしかったな。いい型だった」
「やっと、来たと思ったら、これだ」
「まあ、そうしょげるなよ。またすぐ釣れるから」
「ああ。しかし、残念だ」
「人生八割は待つことだって言うぜ」
「誰のことばだ」
「誰だっけ。何かの本で読んだような気がする」
「待てば海路の日和あり、とも言うよな」
「そう。じっくり待つことさ。やることだけはしっかりやって、あとは運を天に任せる」
「なるほど。くじけずにやれ! だな。人生、七転び八起き」
「まあ、七転びそれまでってこともなくはないけどな」

私たちは、いま男爵がイワナを釣り落とした堰堤下のプールの脇を左から巻いて上流へと出た。
「広くていいな、ここ。投げやすいし」
「この辺りで一番の穴場や」
「ええんかいな、釣って」
「もちろん。どうもヒラキに魚は出ていないようだから、流れ込みの白泡が立つ辺りまで一気に投げて引くといい。上手に投げられる場所まで前に出てもいいよ」
私がそう言うと、男爵は、くるりと背を向けて歩き出した。ずんずんずんずん進んでいく。
そして、それがだんだん抜き足差し足となって、最後は身を低くして岸辺の雑木の陰に隠れるようにして流れを観察している。

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流れのなかの岩の向こう側へまいこんだイワナを追って前へ出る男爵。

ずいぶんと賢くなったな、と愉快がって見ていると、男爵はリールのベールを慎重に返した。そして、男らしくオーバーヘッドキャストで流れ込み付近へとキャストした。ルアーが軌跡を描いて一直線に飛んでいく。そして、夏陽を受けて輝きながら流れ込みの白く泡立つ辺りに見事に突き刺さった。
「ナイスキャスト!」と私は、まるでわが事のように胸が弾んで、おもわず小さくガッツポーズした。
男爵は流よりも少し速いくらいのスピードでルアーを泳がせた。と、一瞬、背中が硬直したように見えた。男爵の手元がわずかに動き、アワセを入れたかのようにもみえたが、その後もかまわずリールを巻いている。ただ、少し巻く手がはやくなったように見受けられるのは気のせいか。すっかりラインを巻き取ると、男爵は私のほうをふり返って、「居った、居った。すぐそこまでついてきた」と、かろうじて私に届く声で言った。
ちなみに、このとき男爵が使ったラインは、ユニチカシルバースレッドトラウトクリアー4lbである。

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ほかのメーカーのはダメなのか。そんなはずはない。ただ、気に入ったラインを使いこむのが私の流儀。

またダメかとみていると、男爵は次のキャストで見事なイワナがを釣りあげることに成功した。
「やったな。写真を撮ろう」
「タオル、とろうか」
男爵は頭のタオルに手をやった。
「ダメダメ。ユニチカはスキンヘッド厳禁だ」
「ほんまかいな」
「ほんま、ほんま」

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ちょっとした淵でイワナがヒット。緊張が走る。

男爵は、にこにこしながらバンダナ代りのタオルを形よく直した。それからルアーのフックをつまんでイワナを手にぶら下げた。よほどうれしかったのだろう、笑顔がやまない。
「さあ、もう残すところあとわずかだ。暗くならないうちに車まで戻らなくてはならないからな」
私が、そう言うと、
「ほな、もう二つ三つ釣るとしようか」と男爵は意気込みをみせた。
「言うじゃない」
「何尾かついてきたからな」
男爵は目論見通りに、その流れから2尾のイワナを追加してみせた。サイズは最初のものに及ばないが、虫をたくさん食べているのか腹がよく肥えていた。

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上流へ向けて投げる。誘う。そして、「お魚さん。死んでもらいます!」

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よく肥えたイワナをゲットしてご満悦の男爵。

「立派、立派。にくいね」
「それほどでもないよ」
「いや、立派だ」
「そう言うが、スプーンやスピナーで釣ってもあまり褒めてもらえないそうじゃないか」
「そんなことはないよ。同じルアーを投げたのでは分が悪いと思って、俺はミノーに終始したわけで、ミノーで釣ろうがスプーンで釣ろうが、1尾は1尾だよ。素晴らしい!」
釣りは楽しんでなんぼの世界だと私は思っている。釣り師にはその釣り師特有の思い入れがあって、それを私がどうこう言うこともないが、また言う気もないけれど、みんな自分流を通せばそれでよい。

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ミノーで釣ってこそ価値があるという人がいる。私はそうは思わないがミノーで釣れた。

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ミノーは使い慣れたものを使う。すぐ入手できないオーダーメイト品は使わない。

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汎用性の高いスプーン。操作性に富んでいるぶんナーバスになった鱒を誘い出しやすい。

とにかく、今日は男爵に良型のイワナが釣れた。そして、私にも幸運の女神がほほ笑んでくれた。

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筆者も本命を手にした。剣山系の小さな沢だがわりと良型が多い。

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家への土産に少しだけキープした。

「いい一日だったな、今日は」
「うん」
「また、連れて来てもらえるかな」
「もちろん」
「今度はミノーで釣りたいな」
「うん」

帰路についてからも、男爵は私の車の助手席で終始ご機嫌だった。
そのとき、薄暗くなりかけた山道に、子を連れた鹿が出ているのがみえた。
「おおっ。鹿がおる。ほんまもんの鹿や」
「ああ」
「すごいな、道に鹿がおるなんて」
「ああ」
「ほんまもんやで」
なにか、いやに鹿に執着している男爵であった。車に泡を食った鹿の親子は急いで山の斜面をかけのぼっていき、やがて私たちの視界から姿を消したが、男爵はその方を何度もふり返っていた。
鹿など奈良の公園へ行けばいくらでも見られるだろうに。鹿せんべいでも買って与えれば目と鼻の先まで寄って来る。だのに、この男爵のはしゃぎようといったらどうだ。
しかし、私はそのことについて、一言も口をひらかずにいた。
付近では、ちょくちょく本当の鹿のほかカモシカを目撃することもある。

【今回の使用タックル】

ロッド : ダイワ シルバークリークX506T-ULFS
      ウエダ STS-501MN-Si
リール : ダイワ カルディアキックス2004
       ダイワ セルテート1003
ライン : ユニチカ シルバースレッドシルバースレッドトラウトクリアー 4lb
       ユニチカ シルバースレッドシルバースレッドアイキャッチPEマークス 4lb
リーダー : ユニチカ シルバースレッドトラウトリーダーFC 4lb

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