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釣行記

釣行レポート

2011年7月29日

ミキカツさんと深淵を釣る

深淵は、「みぶち」と読む。祖谷川水系の一大支流・松尾川の源流域をそう呼ぶ。地図によっては、「深淵川」あるいは「深渕川」と記入してあるものもある。いちおう国定公園か何かに指定されてはいるが人を迎い入れるための観光施設は皆無である(数年前まではバンガローがあり、もっと前には店もあったと記憶しているが、今はない)。また、人の住む人家は数えるほどしかない。数年前までは、冬の厳しい時期は町に暮らす息子夫婦の家に身を寄せて、気候のいい春から秋は住みなれた山のわが家で自適の一人暮らしをつづける気のいいばあさんがいて、釣り姿で通りかかるとお茶を出してくれたりもしたが、その青いトタン屋根の質素な家屋も今は空き家となっている。その付近の集落すべてが今は廃屋同然である。

「しかし、なんだな。人影の消えた集落ほど気持ちを暗く滅入らせるものはないな。山に釣りに来て、こういう光景に出くわすたび、たまらなくなるね。うらさびしくてまともに目をあげられない。廃校になった山の小学校や中学校、あれも気持ちを暗くするね」
そう私が感慨をもらすと、
「きょうは、またどうしたの?」と運転中のミキカツさんこと三木勝利氏が横目でちらっと私を見た。「今度の震災で、連絡が取れなくなった釣り仲間とかに、『おい、なぜ応答しない? 生きてるなら生きてるって連絡しろ!死んだのならそれでもいいから、せめて死んだといえ!』なんてメールしまくっていた非情のオヤジが、なんと今日はやけに人間味ある発言をなさいますことか」というのである。
「だって、しかたないじゃないか。世界一の防波堤だよ。あれを越えて津波が襲ったのだ。どうにもなるまい。そりゃあ、もっと堤防を高くしておけばよかった、天災に対する心構えの足りなさが死者行方不明者を増大させたと、すべてが終わった後で、そう言うのは簡単さ。しかし、人の世の一寸先は闇だと昔から相場は決まっている。これがそもそも大前提としてある。どんなに気を引き締めてかかっても死ぬときは死ぬさ。釣れないときは釣れないっていうのとおんなじさ」
「人命と釣果を同列に引きあいに出すあたり、あんたらしいといえばいえなくもないが、俺はあきれるね」
「そういうがね。ミキカツさん。あんた歳をとるほどに、笑顔に何ともいえぬ嫌味の色が動くようになったね。品性を欠くというか、若いころのあの端正な顔立ちはどうなすったのかね。秀ちゃん並のあの紳士面はどこに置き忘れてしまったのでしょ。この先どんな老人になっていくかと俺は今から心配だよ」
「誰が老人じゃ。まだ、その域に達するまでには、ずいぶん間があるわぃ。大体、あんたにそんなこと言われたくないね」
「まあ、どのみち、われら釣り師は頑固で、せっかちで、身勝手で、口をひらけば嫌味なことばかり言い合っている。これじゃ自他共に認めるどうしようもない年寄りになるのはどうにも避けられそうもないね。必定ってやつよ。あんたも、今から覚悟しておくんだな。多分に行く末孤独だよ」
「やめてくれ。そんな、未来も夢も何もあったものじゃないって言い方」
「未来ね。夢ですか。そんなものなくても、釣りがあるじゃないか、俺たちには」
「だから、やめてほしいな。あんたと俺と、ひと括りに考えるのは」
「死ぬときは、ひとりよ」
「そうでも、みとられて死にたいな」
「二人で死ぬって手もなくはない」
「・・・・・!?」
「その点、あんたなんかは有望だぜ、俺とちがって情が深そうだから。だが、歳とって、よその女と意気投合して死んじまうってえのも、醜悪だな」
「だから、よせよ。釣りが楽しくなくなるだろ。これから釣ろうってときに」
いつもの駐車場所までは、もうそうたいした距離ではなかった。
私たちはそれっきりあまり会話をかわさなくなった。釣りの作戦で次第しだいに頭のなかが占められていく。
私は掌をこぶしでパンと打って気合いを入れた。

7月29日(金)。午後二時過ぎに烏帽子山登山口の少し下流側へと入釣して、そこから二人釣りあがっていったのだが、沢へ降りてまもなく私の投げたハスルアー2.5gに斑紋のひときわ美しいアマゴが釣れはしたものの、その後まったくふるわず、ルアーの後を追って来るのもチビばかりで、ミキカツさんも私も集中力がつづかなかった。

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筆者に来た綺麗なアマゴ。ハスルアー2.5gにヒットした。

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「これ、写りいいなあ。憎めない顔してる」というので、これも載せておく。

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絶妙の塩梅に斑紋を散らした品のあるアマゴ。深淵には目の覚めるような美しさを誇る魚が多い。

しかし、こういう時こそ、気を抜いてはならない。いや、結果からいうと「気を抜いてはならなかった」のだ。
それは、全工程のちょうど半分くらいを釣り終わったころのことであった。
いつもは人が目を見張るほどキャストの上手なミキカツさんが、ちょいちょい石にカチンとルアーをぶっつけたり上空に垂れた枝に引っかけたりするようになって来た。相当いらついているようだ。
「これじゃなおのこと釣れやしない。悪循環だ。しかし、1尾は釣ってもらわないと手にアマゴをぶら下げた写真をおさえることができない。弱ったな」と私はそう感じながらミキカツさんが釣るのを見ていた。

ミキカツさんは、対岸側で奥行きのある流れを攻めていたが、あの普段の自信に満ちた身のこなしぶりとは明らかにちがっている。しかも、第一投目にアタリもなかったものだから、次は少し気を抜いてルアーを操作した。それがはたから見ていてありありとわかった。
私は、これはよくない兆候だ、と心に思った。
と、そのとき、上流から下流に向けて引かれるラインがピンと生気を持って張りつめ、それとほぼ同時にミキカツさんの体が後ろへのけぞった。ロッドが横向きに引き絞られる。慌てたミキカツさんは、なおもロッドを強く引き絞った。
「大きい!」と私は心に叫んだようだった。

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合わせた後のけぞる三木さん。この後、痛恨のバラシが待っていようとは。

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このくらい流れから離れて釣れば瀬尻にアマゴが出ていても上流へ走られることは、まずないだろう。

事実、引きためたラインを引き戻す魚のあの余りある力をまざまざと目に焼けつけさせられると、その大きさは疑う余地もなかった。
私は、経験上これはまずと思った。しかし、それよりもっとミキカツさん自身がそう感じたにちがいない。この人でもこれほど慌てることがあるのか、と、そのとき私は軽い衝撃をおぼえた。そして、その悪い予感は的中した。
「あっ!」とミキカツさんは叫んだようであった。
しかし、快活な沢の音にかき消されて私の耳には届かない。
ミキカツさんは悔しそうに天を仰いで、
「みえた、みえた。ルアーを真下からとらえて、上流の落ち込みへ走り込もうとしたんだ。まさか出るとは思わなかったので、慌てた」
「うん。竿がガクンと最初にお辞儀したのが見えたよ。仕留めそこなったね」
ミキカツさんは、水を蹴りながらこちらへ渡って来て、「惜しかった」と唇をかんだ。
それから少し上流へ移動して、両側が切り立った岩場の狭い廊下みたいになった水深のある流れを、今度は気合を入れて釣りはじめたが、ここでも大きいのを不運にもバラしてしまった。

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上流へと向かう。深淵は夏でも水温が低い沢である。

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水深のある淵を狙う三木さん。

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明るい流れの浅い場所も要注意。大きいのがひそんでいることがある。

「切れた!ラインの結び目からとんじゃった」
「ルアーの結び目が傷んでいたんだね、残念」
「いや、そうじゃない。とんだのはラインとリーダーの結び目だよ」
ミキカツさんは、シルバースレッドアイキャッチPEマークス4lbシルバースレッドトラウトリーダーFC4lbを結んで釣っていたが、普段の冷静さを欠いてしまっていたせいで、どうも途中で結び直したときに結びが甘くなってしまっていたらしい。

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使用したラインとリーダー。

「アワセ切れだ! もう、いやになっちゃう」とミキカツさんは、その場に座り込んでしまった。
そして、しばらくのあいだ、その場にへたり込んだままでいた。

ミキカツさんの不運は、これだけでは終わらなかった。さらに追い打ちをかけるように今度は高強度で定評のあるPEラインを高切れさせてしまった。空中にあるうちにラインをまっすぐ張ってやろうと、キャスト直後にスプールに指をあててラインの出をおさえた途端、ラインが切れてしまったのだ。
「さっき、底に引っかかったときに、強く引いたらPEの途中が石に擦れる感触が伝わって来た。あの後よく点検しておくんだった」とミキカツさんは、ここでも悔しそうな顔をした。
けっきょく、このあとミキカツさんは、沢がふたつに分かれるいつもの道への上り口のところまで釣りあがって来て、「万事休す!」と樹木にかぎられた狭くてまばゆい夏色の空を仰いだ。
そして、深くため息をついた後、
「終わったな」とミキカツさんは力なく言った。
私は、黙ってうなずいた。
そして、ラインの結び目を歯で切って、ルアーをケースのなかへと戻した。

ミキカツさんは、スプールに巻き取ったラインの緩みをなおそうとして、目の前の流れに向けてルアーを投げ込んだ。もちろんテンションをかけながら巻く必要があるので下流側へ向けてなるべく遠く投げたわけだが、そのダウンストリームにキャストしたルアーにあろうことかアマゴが食いついた。発眼卵放流されたものが順調に育った今年子の稚魚だと思われるプチサイズのアマゴである。私はそれをミキカツさんの背中越しに見ていたが、声をかけようにも適当な言葉が見つからずにいた。
まるで早くはずれてくれといわんばかりに、ミキカツさんはいい加減な感じにリーリングをつづけていたが、こういうときにかぎって全然はずれる気配がない。
なんとも、味の悪い幕切れとなってしまった。

【今回の使用タックル】

ロッド : ウエダ STS-501MN-Si
リール : ダイワ セルテート1003
ライン : ユニチカ シルバースレッドアイキャッチPEマークス 4lb
リーダー : ユニチカ シルバースレッドトラウトリーダーFC 4lb

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