過去の釣行記TOP > 釣行レポート > 2013年5月25日

釣行記

釣行レポート

2013年5月25日

病床閑話

六月の声を聞いてまもなく二週間ほど入院した。副鼻腔内にできた袋の穴が細菌か何かの炎症によってふさがって、それで袋の内部に鼻水が溜まる一方になってしまった。やがて、袋はどんどんはちきれんばかりに膨らんで、その付近を通る視神経や脳の神経をこれでもかというくらいに圧迫した。もう少しで取り返しのつかぬ事態に陥るところであった。
この袋は、過去に慢性副鼻腔炎の手術を受けたことのある人に、わりとよくできるのだそうで、そのうちの私も一人であった。
幸いなことに、袋が一つだけだったこと、炎症によって一時的に袋の穴が塞がっただけであったことなど運も味方して、手術は短時間で終了した。治療のための道具を患部の炎症部分まで通すために鼻骨を少し削られた。治療は鼻の穴から挿入された内視鏡で確認しつつおこなわれた。
「こんなにひどくなるまで放っておいちゃダメでしょ」とベテランの看護婦さんに、あとでこっぴどく叱られたが、さすがに返す言葉もなかった。

私が入院したのは高松市内の総合病院、峰山の麓から少し登ったところにあった。七階の病室の窓からは、岩清尾八幡宮の社殿の建つ低い山の向こうに、高松の町並みを眺望することができた。その向こうには瀬戸の海が横たわっていた。沖には、女木島が見え、男木島が見えた。右に目を移すと屋島が見える。その屋島の山頂から天気のよい日は朝陽が顔を覗かせた。

私は夢想家ではないが、入院中は暇を持て余していたから、ふだんになく考えたり思ったりする機会が少なくなかった。また、思い出そうとしなくても、ずいぶん昔のことが次々に頭に浮かんで来た。
これから、書こうとしている話もそのなかの一つである。

まだ若かったころ、大学病院の看護婦さん(むろん、呼び方が看護師さんに改まるずっと前のことだ)の引っ越しを手伝ったことがある。これは正確ではなくて、ほんとうは引っ越しを請け負った運送屋の手伝いで、トラックの助手席に同乗して、看護婦さんの実家まで荷物を運んだのだった。
看護婦さんの実家は、愛媛県の川之江か伊予三島の山の上で、荷物を積んだ2tトラックは傾斜の急な山の道を息せきながら登っていった。道はトラックを通すのにやっとの幅しかなくて、途中郵便のバイクとすれ違ったが、それすら楽々対向できるというようなわけにはいかなかった。
私は、ちょっと不安であった。
すると、それを見透かすように、運転手と私とのあいだに腰かけていた看護婦さんが、こう言った。
「車は降りてきませんから大丈夫です。上には数軒しかありませんが、実家には荷物の着く時間を知らせてありますから、ご近所さんにはもう連絡済みです」
その道が尽きるところに看護婦さんの実家があった。
「もう奥はありません。うちで最後です」と到着早々茶と菓子を盆に載せて来た看護婦さんのお母さんが言った。
病院の寮に独り暮らしだった看護婦さんの荷物は大した量ではなかった。しかし、暗くなる前に山を降りてしまいたかった運転手と私は、てきぱきと荷物を家に運び込んだ。
それを無事終えると、現金で運搬費を受け取った運転手は領収書をお母さんに手渡してから、何やら少しのあいだ気さくな風に話をしていたが、私は家の庭の断崖絶壁に立って夕陽を眺めた。絵葉書に見るような立派で大きな夕陽は綺麗な朱の色をして、燧灘の凪いだ海面の少し上にためらっていたが、私はそれを見おろしざまに感動を持って眺めた。眼下に街並みが見え、その向こうに凪いだ海が横たわり、その海に夕陽が沈もうとしている。
これほど夕陽を遥か眼下に眺めるのは初めてだったので、私は感無量の心地であった。
もうかれこれ三十年近くも前の話である。

燧灘といえば、言わずと知れたアコウの好釣り場である。夏が旬の高級魚で、最近はワームを用いたルアーフィッシングで狙う人が増えた。私もそのうちの一人であるが、今期は出足好調のようで、すでにその引き味を堪能した仲間も少なくないようだ。秋遅くまで狙える魚だから、この先まだいくらでもチャンスはあるし、大きいのを一尾か二尾、ないしは三尾ほどぜひとも釣りあげて、仲間の度肝を抜いてやりたいものだ。ちょっと欲張り過ぎという気がしないでもないが、そう思っている。

釣行レポート

アコウは高級魚。釣れると顔がほころぶ。

釣行レポート

アコウ狙いにはナイトゲームTHEロックPEを使用

釣行レポート

どうボトムを攻めるか。アコウフィッシングはこのことに尽きる。

釣行レポート

よく引くので釣ってよし、また食ってうまし!

釣行レポート

ワームは種類よりも特性を生かした誘い方が重要

釣行レポート

燧灘はアコウをはじめとする根魚の宝庫だ

たとえば本を読み出してしばらくすると覿面文字がぼやけた。テレビの時代劇を観ていると湯でくつろいでいる忍びの女役の由美かおるが二重に映って見えた。だからといって、正常なもう片方の目ばかりを頼って物を見ていては、いたずらに時間を費やすだけで、なかなか元通りにはならならない。そのことで、何度か看護婦さんに注意を受けた。
手術から一週間ほどで物が二重に見えるとか、ひどくぼやけてしまうとかいうことはなくなった。とはいえ、症状が軽くなってよりのちも、やはり物を見過ぎると目の底から疲れた。
そういうときは、空や、空に浮かぶ雲を遠くに見て過ごしたものだ。空や雲ならよほど長く眺めていても、わりと目に負担を強いることはなかった。

庵治半島の江の浜で朝夕にシーバスが釣れはじめていた。
入院する二日前の夕方のことだ。その日も、よく肥えたシーバスが浜の浅瀬のあちこちでヒットして仲間を大いに喜ばせた。連載している雑誌に、私はこのことを書こうと思って、写真を撮りに出かけていた。
この日は、とくに稲田と太田が好調で、暗くなる前からシーバスを連発させていた。 浜の浅瀬の沖ではサワラの横走りが時折目撃された。ハマチも姿を現した。これらを釣るには丈夫なシーバスタックルやショアジギング専用の道具を必要とするが、シーバスは目と鼻の先の浅瀬でイカナゴの群れを追いまわしているのだから投げるのはほんの少しでもかまわない。使うルアーもさほど大きくないために尺メバル用のタックルがあれば何ら問題はなかった。

釣行レポート

「そろそろですね、ボイル」と大東

釣行レポート

イカナゴが砂にもぐって寝たあとの夜は底付近を狙う

釣行レポート

ラ・バンバ。言わずと知れたイカナゴパターンの必殺ルアーだ。

釣行レポート

ラ・バンバ7gにヒットしたメバル

釣行レポート

昨年はこんなマダイが多く釣れた

釣行レポート

笹尾の西側の岩場でシーバスを狙う

この場を借りて、タックルや仕掛けについて少し触れておくと、仲間内で評判がいいルアーはダイワ・月下美人澪示威5S、6S。既に廃番になっているスミスのラ・バンバ7g、10gも根強い人気がある。ワームはエコギアパワーシラス2inを用いるとシーバスの食いがすこぶるよいため各色用意して出かける仲間も少なくない。
中型や小型のミノー、軽めのジグだけを用いてシーバスタックルで狙うなら、ユニチカ・シルバースレッドソルトウォーターII6lbをメインラインに使用し、それにユニチカ・ナイトゲームTHEメバルリーダーFC8lbを矢引き程度の長さ継ぎ足せば問題なくシーバスとやり取りできる。

釣行レポート

ライトなシーバスタックル用のラインとリーダー

ワームを多用するばあいは、ユニチカ・ナイトゲームTHEメバルスーパーPE3lb(0.4号)ユニチカ・ナイトゲームTHEメバルリーダーFC4lbか6lbを、やはり矢引き程度継ぎ足してやるとシーバスのほかに大型のメバルを潮次第でものにできるだろう。細仕掛けのため私や私の仲間の多くは先にも述べたように尺メバル用のタックルを使用している。
なお、このくらいのラインシステムでも、ユニチカのラインやリーダーは扱いやすく強度も抜群なため、たとえ大型のシーバスが食いついても難なく応戦できるので安心だ。

釣行レポート

尺メバル用タックルに使用するラインとリーダー

さて、その後も、出かけるたびに、明け方と、夕方から宵の口にかけて、シーバスがよく釣れて毎日が楽しいとの噂を度々耳にした。電話やメールでそれを知り、またあるときは見舞いの者からそれを聞かされた。
そう聞くたびに、心がはやった。自分も病気を治して参戦しなくてはという気持ちが自然と湧いてきた。けれども、妬ましいとか羨ましいとか、そういう気持ちには不思議とならなかった。
「仲間にばかり釣られて、どうするの」と私は自嘲気味に言って笑った。
その日は、点滴をすませ、三階の耳鼻科で簡単な治療を受けたら、もう一日することがなくなってしまった。
私は、雲の浮く空を窓から眺めた。

釣行レポート

イカナゴパターンに効果的なルアー

釣行レポート

いつもよく釣る太田。イカナゴパターン大好き人間だ!

釣行レポート

シーバスをずりあげた。ここまでくればもう安心。

釣行レポート

暗くなる頃には釣り師で埋まる

釣行レポート

稲田耕作にナイスサイズが来た

釣行レポート

丸々肥えた本命をキャッチしたウッティー内田

釣行レポート

早朝も釣れます、と男爵こと三木一正

釣行レポート

太田に大物がヒット

釣行レポート

通い慣れた人ならこのくらいは釣る

釣行レポート

波打ち際でよくバレる。気を抜かぬように。

(この章の最後に掲載した十枚ほどの写真は、平成25年5月29日(木)に、庵治半島の江の浜で撮影したものである)

「入院などしなければ、沢へイワナを釣りに行けたのに」
ある日の午後、点滴の最中にそう思った。
ベッドに仰臥の身を嘆くとかそういうのではない。ただ漠然とそう思ったのだ。
私は思い出そうとしていた。
夏の沢でイワナを釣っての帰り。もう暗い杉の木なかを抜けて尾根に出ると、星が相当近くに強くまたたいて見えた。手を伸ばせば届きそうとはこういうことを言うのであろう。そのまたたきは、宇宙からの何かシグナルのような気がしないでもなかった。もし読み説くことができたなら、すぐさまそれに応じたろう。
私は、星で明るい夕べの空を仰ぎ見ながら、しばらくのあいだ尾根の石に腰を降ろして休んだ。
通い慣れた場所でもあり、また予備を含む二個のライトも携行していたため、闇が濃くなりはじめても私の心に不安はなかった。
これから辿るべき方を見やると、山は樹も岩盤も、あるいはちらっと山腹に断片的に見えているはずの林道も、今はただ黒く塗り潰されて、どれがどれとは判別のしようもなかった。
 石に腰かけ休んでいると、高く澄んだ鳴き声が、山のどこかに聞こえた。相呼ぶ鹿の声だ。おもしろがってその鳴き声を大声で真似てみたら、それきり鹿は黙ってしまった。

釣行レポート

夏。アマゴを釣るのも悪くない。

釣行レポート

夏の沢でイワナを手にした男爵。今年の夏も一緒に釣ろう

釣行レポート

渓流の定番。ユニチカのラインとリーダー

釣行レポート

渓流釣りは景色とセットで楽しむ

釣行レポート

澄んで冷たい水によく磨かれた沢のアマゴ

釣行レポート

大きなイワナに笑みがこぼれる神山浩司

釣行レポート

天に最も近く棲むむ魚、イワナ。何度釣っても飽きない

釣行レポート

筆者にイワナがヒットした

釣行レポート

木洩れ日の沢のイワナたち。今年もまた会おう

星にまつわる聞き書きを一冊にまとめた単行本を持っていた。誰かに進呈したか、本を整理するときにまぎれて処分されたかして、もう私の手元にはないが、或る南の島の住人の死の間ぎわの場面を簡潔な文章でさらっと述べた印象深い作品がそのなかにあった。
その島では、これから死んでいこうというとき、夜空を見上げながら星の一つを指さして、家族や友人らの見守るなか、こう願うのだそうだ。
「こんどは、あの星に生まれたい」
検温に来た看護婦さんにこの話を聞かせると、「とても素敵なお話ですね」と声をやさしくした。
私は、ちょっと複雑だった。そして、日本人の自分ならどう思って死んでいくだろうかと考えた。
「死んだらおしまいで、何も残りゃしない」と看護婦さんが出て行ったあと、私は声に出して言ってみた。
そして、入院中の身をいっそう寂しくした。

栄養補給の点滴は手術のあと三日ほどでしなくてよくなった。しかし、傷口を化膿させないための抗生物質の点滴はその後数日間つづけられた。一時間もしないうちに済んでしまう量だが、ただ仰臥して天井ばかり眺めているのはむなしいものだ。
私は、何か楽しいことを考えようと頭をめぐらせた。
あれは入院する少し前のことだった。池田ダムが定期放水を始めたことで、減水していたダム下流の流れが見ちがえるほど勢いを増した。私は減水時には、時々様子を見に行くことはあっても、とても竿を出してみようという気にはなれなかったが、いきいきした流れに変わってからは、あまり間を置かずにルアーやフライで何度か鱒を釣りに出かけた。
そのことについて、ちょっとしたエピソードなどもいくつかまじえながら、思いつくまま書きつけてみようと思う。

① 鮠釣りの老人
ある晴れた春の日の午後、土手に腰かけて日向ぼっこをしていると、草の若葉を膝に押しわけながら流れのほとりへと降りて行く老人の姿が目に留まった。老人は農家の人のような帽子をかぶり腰に手拭きをぶらさげていた。老人は孫らしい男の子を連れていたが、底に水を溜めるための防水布を張った魚籠をその子に持たせていた。
中洲の向こうの流れは鮎の友釣りに適しているように見えたが、土手のすぐ下は小川のような澄んだ流れで、雑魚しかいないと思われた。

「鵜が増えて、鮠がすっかり減りましたな。昔はどっさり釣れたものだ」
数日前、流れのほとりで偶然会ったとき、老人はべつにどうというふうでもなくそう言って、細い鮠用のノベ竿を伸ばしながら、私に釣りはしないのかと訊いた。
「鱒を釣ります」と私は答えた。
「わしが子供のころは葦のあいだに挟まって動けなくなった鱒を、よく手掴みで捕まえたものだ。このくらい大きいのも獲れた」
老人の竿のさばき方は動きに無駄がなく、自然の風景によく馴染んで見えた。
鮠とは、昔から競技会の盛んなハヤ釣りの、あのハヤ。和名はオイカワである。徳島では串にさし天日に干したものを炙って食べる。その素朴な香ばしさときたら、もう酒のあてにぴったりである。私は酒を嗜まないので、酒のあてによいと感想めいたことを述べても、それは酒呑みの受け売りにすぎぬが、炙った鮠に辛子醤油をつけて熱々のご飯に添えていただくとなかなかに旨い。
「今日はどうでしょう。釣れるでしょうか」
「この子と楽しむくらいには釣れるでしょう」
「たくさん釣れるといいですね」
「ありがとう」
もし川まで降りて行って、あいさつしたならば、老人は孫の頭など撫でながら、気さくに応じてくれたろう。
しかし、私は土手の上からちょこんとお辞儀をしただけだった。
しきりに鶯の鳴く声が聞こえていた。

② 吉野川三好地区で鱒を釣る
五月二十二日のことだ。
朝早くから池田ダムの下流域で鱒を狙っていた。鱒は小ぶりなのが一尾のみ、しかも、スレ掛りであった。
もう太陽は高く昇っていた。後ろの雑木林のなかで野鳥がしきりに囀っていた。私は河原の石に腰かけて、「さっき鱒を引っ掛けたのは確かあの辺だったな」などと思い返しながら、なぜ背鰭の近くにルアーのフックがよく掛かるのか不思議でならなかった。これは、長年鱒を狙ってきた釣り師なら多くの人が経験済みだろう。そのくらい、鱒は背掛かりが多い。とくにスプーンで攻めているときによく起こる。これは、友釣りの鮎が囮にちょっかいを出すときの原理に当て嵌めて考えてみれば謎解きに労をわずらわすこともないのだろうが、あいにく私は友釣りをやらないので上手に説明がつかない。
そのスレ掛りすら、その日はたった一尾だけで、あとはアタリすらなかった。
ダムが水を落とし始めてから流れは抜群によくなっていた。
「こんなはずあるわけないがなあ」
しかし、鱒の機嫌がよくないのでは仕方がない。少し休憩することにした。さて、これからどうしたものか。そのことも休みながら考えてみようと思った。
私は、飲み物を取りに流れの方へと向かった。それは、あらかじめ流されないよう石で囲って、その上に石で重しをして、あとでごくごく飲んでやろうと思って、流れのなかに冷やしておいたのだ。
私は、飲み物を持ってもどると、また石に腰かけてペットボトルから一気に半分ほど飲んだ。河原の石に腰かけていると喉が渇いた。釣りをしているときには気にならなかった陽ざしが、たいそう強く感じられた。
私は、ずいぶん長く石に腰かけたままでいたが、なぜこんなに悠長に構えていられるのか自分でも不思議であった。のんびり休憩などしているばあいではあるまい。
すでに鱒を一尾ものにしているとはいっても、それは口を使わせて釣りあげたものではない。スレ掛りはスレ掛かりであって、けっして釣った鱒だとはいえない。
ここは一つ奮起して、ぜひとも見映えのする鱒を釣り上げる必要があった。

釣行レポート

4月下旬に訪れたときはツツジが見事であった

釣行レポート

ドライフライにイワナがヒットした

釣行レポート

フライで釣るのも面白い夏の沢のイワナ

ようやく、私は休憩の腰をあげて、瀬の方へと歩いて行った。
スレ掛かりで鱒をやっつけた辺りには鱒がひそんでいそうなピンスポット的なポイントがいくつかあって、そこはまだ手つかずであったから攻めるには魅力的だった。
しかし、その強い瀬の流れがそそぎ込むそのすぐ下流の大きなプールをまず攻めてみようと思いはじめていた私は、その荒い瀬には立ち込まず、プールの流れ込み付近へと足早に向かった。
すでにダムからの定期放水(主に水田に水を張ったり畑を潤したりするためらしいが、要するに夏場の農業用水として利用される。このほか、鮎漁に支障が出ないよう水位を保つ必要に迫られての放水という見方もあるが、おそらく両方だろう。ダムの管理事務所に問い合わせたわけではないので、釣り師の思い込みにすぎぬかもしれない)が始まっていたから減水時のみすぼらしさは微塵も感じられなかった。荒々しい瀬が行き着く先には大きなプールが澄んだ水を満々とたたえて横たわっていたし、水を脱いで鱒が躍りあがることもあった。水辺の萱の瑞々しい緑が風に揺れて、水に浸ったその根元にはスッポンが水から顔を出して浮かんでいた。そのぽかんとした呑気そうな顔をもっと間近に見ようと、水を押してゆっくり近づいて行くと、スッポンは慌てた様子で深みへと潜ってしまった。
私は、巨大なプールの流れ込み付近をまず釣ってから、アタリすらないと知ると、その上流の荒い瀬をふたたび積極的に攻めはじめた。先に述べたように、速すぎる流れは一見して鱒が止まる余地はないように思われるが、瀬の底に沈む大きな石の前後は流れが緩く、鱒が休むのにじゅうぶんなスペースが用意されているとみてまちがいなさそうだった。
むろん、そこをピンポイントで狙って釣れたから結果的にそのことが明らかになったにすぎぬが、「俺って名人か!」と有頂天になるくらい、狙った場所で狙いどおりに鱒がルアーに食いついた。
その鱒は大きな沈み石の前で餌がやってくるのを待っていた。その石の前にキャストし、着水とともにラインをピンと張らせて、すぐさまスプーンが魅力的なアクションを起こすよう心がけるだけで容易に鱒が食いついた。これさえうまくやれれば、こっちのものだと信じて攻めにかかると、望み通りにすぐまた鱒がヒットした。
私は問いかけるように言った。「おい、鱒。いったいどうしちまったというのかね?」
その後、ふたたびプールの流れ込み付近を探って、二尾の鱒を追加した。
これで合計八尾の鱒を釣ったことになるが、車を活用してラン&ガンでも試みないかぎり、ひと所でこれほど鱒が釣れるのは珍しい。小ぶりなものは魚体に触れぬよう注意しながら素早く流れに戻してやったが、晩飯のおかずに釣果の半分は持ち帰ることにした。
昼食を用意してこなかったので、少し腹が減って来たが、休んだり釣ったりをくり返し、私は夕方までその場を離れることはなかった。せっかちになることも焦燥感にさいなまれることも、またさらに釣果を欲張ることもなかった。鱒はもうとっくに口を使ってくれなくなっていたが、私はダメを承知で、それでいてゆったりと流れに向き合うことができた。
私は川からあがっても、すぐに車には向かわずに、しばらくそこに佇んでいた。後ろの雑木林で囀っていた野鳥は黙ってしまい、いまはこずえを渡る夕べの風が聞こえるばかりだ。
目を閉じると、私は大きく息をした。

釣行レポート

キープした鱒。よく肥えていた

釣行レポート

スプーンは、5~10gを多用する

釣行レポート

扱いやすさと抜群の強度、本流の定番ラインだ

釣行レポート

強い流れのなかでのされそうになりながら取り込んだ1尾。疲れたぁ

釣行レポート

澄んだ流れの川岸は瑞々しい春の緑がつづく

釣行レポート

大きくても大きくなくても釣れると胸が高鳴るのが鱒だ

釣行レポート

奔流の石の頭でヒットした鱒が下流に走る

釣行レポート

鱒はバレやすい。取り込んだあと、いつもほっとする

釣行日 平成25年5月22日(水)
釣り場 徳島県吉野川本流(池田町)

[タックル、ライン]
ロッド UMFウエダ STS-74MN-Si BORON
リール ダイワ ニュー イグジスト2004
ライン ユニチカ シルバースレッドトラウトクリアー6lb

③ ウエットフライで狙う本流鱒
午後四時、目的地に到着。すでに田植えを終えた水田の端に車を寄せて、道具の用意をすませると、さっそく私は河原へ向かって歩きはじめた。河原は、石が露出しているところはごろごろして歩きにくいが、河原に堆積した土壌の上には雑草が生い茂り、流れの岸辺には萱が瑞々しい若葉を夕風にそよがせていた。
その萱の茂みに沿って、ちょうど膝下くらいの水深のところを、流れの様子を窺いながら進んでいくと、私に驚いた大きなニゴイが萱の陰から猛然と躍り出て流れのなかへと走り去った。
そこから更に少し川をくだって行くと石の河原がひらけた。対岸側も同じような石の河原だが、かなり遠い。岸に近い流れは浅めで、ずいぶん前のほうまで出て釣れるので楽であった。たいていは背後の障害物を気にしながらの窮屈な釣りを強いられがちなフライフィッシシャーマンにとって、このような釣り場は精神的にも釣り勝手のよさという点からも嬉しいかぎりである。
私はウエットフライボックスをひらいて沢山のフライのなかから8番のグレートセッジを指につまみ取った。ロッドは私のフルネームを冠したバンブーロッドの5番である。これは、渓流でウエットフライフィッシングを楽しむのに最適なロッドであるが、この規模の流れを釣るには役不足の感が強い。そこで、私は探れる範囲を持てる限りの技量を発揮して釣ってみて、もしそれでダメだったらきっぱりあきらめると最初から割り切って釣りを開始した。
釣りはじめる前に、萱の茂みを棒きれで軽く打ってみると、トビケラが雲の湧くごとく飛び出して来て、私にまとわりつくように飛びまわった。しかし、流れの上に出て群飛する姿はまるでなく、流れの緩い場所で泳いだり潜ったりする光景もまったく目にすることはなかった。
「まだ少し早いのか」
それでも、鱒はトビケラに目がない。もし流れのなかの鱒の目の前にトビケラに似せたフライが魅力的な姿で現れたとしたら何の疑いもなく食いついてくるにちがいない。
太陽は雑木と竹の混合林のやや上に大きく照っていたが、もう真昼のようには暑くなかった。
数羽のツバメが流れの空を切れのよい動きで飛びまわっていた。ツバメたちは不意に急降下して、水面を流れる羽虫をついばんでは、また晩春の夕空へと舞いあがった。ツバメはそれを囀りながらくり返していた。なにかツバメ同士お互いに相談し合いながら餌を捕っているように思ったが、たいして鳥類に詳しくない私にはその真相のほどはよくわからなかった。
吹く風が心地よかった。
上流側から吹いてくる弱い風は、フライを投げたり流したりするのにも都合がよい。私は余裕を持って釣りに臨むことができた。
少し手元にラインを手繰り込んでから、私は対岸のやや下流に向けてフライを投げるためにフォルスキャストをおこなった。いちど目はフライを思う場所に投げるための方向修正目的、二度目はキャストに勢いをつけるためにそれをおこなった。
私は自分の投げたフライが流れに着水して見えなくなるまで目に追いつづけた。やがて、フライは流れに吸い込まれるように私の視覚から姿を消した。
そのあと、私はラインのかたちを変えるためのメンディングをいちどおこなった。これで仕掛けの流れ方が私の意図する理想のかたちに近づいた。
すると、私の立つ側に仕掛けが流れきる寸前のところで鱒らしきアタリが来た。悪い場面展開だ。ウエットフライを用いてダウン&アクロスで釣り下るばあい、その仕掛けの性格上、流れに対して角度が浅くなるほど鱒のヒット率は目に見えて下がる。あんのじょう、二度目のアタリが来たとき間髪入れずにあわせてみたが、鱒の顎を捕らえきれずに終わった。
「ちえっ、やっぱりダメか」
残念だが仕方ない。
もういちど同じコースにフライを入れてみたが、今度はアタリすらなかった。
私は仕掛けを流し終えると、二歩ばかり下流側に移って、ふたたびフライを流れに躍らせた。
最初の鱒が釣れたのは、起点から数十メートルほど下流であった。フライが流れに落ちて間もなく手元に鈍いアタリが来て、その直後の二度目のアタリでヒットに持ち込んだ。浅い流れは意外と強く、澄んだ流れのなかで鱒は鋭角的な走りをみせてよく暴れた。ネットを携行していなかったので岸へと寄せて、首尾よく河原にずりあげた。大きくはないが、釣れるとやはり嬉しい。とくに最初の鱒はボウズを逃れたことを意味するわけだから、その嬉しさには安堵の気持ちが入り混じって何ともいえぬものがある。
そのあと、<川の税金>と呼ばれるウグイが二尾釣れた。そして、ナマズが来た。
「外道のオンパレードかよ」
私は気分を一新しようと、川からあがった。
すでに、夕暮れの気配が濃かった。風はやんでしまった。それは、まあ、悪くないとしても、川面はすっかり閉じて、しずかに一つの方向を指して流れていくばかりだ。
最初の鱒が釣れたときには、姿こそ目にできなかったが、速い流れのなかでピシャッ、パシャッと鱒がライズすることがあった。それが、こうして最もよさそうな時間帯になってライズしなくなってしまったのは憂慮すべきことだ。
夕空にツバメの姿はもう見えなかった。
私は立ちあがって付近を見まわした。
流れはまだ明るい西陽のせいでキラキラ輝いて見えた。
「ぐずぐずしていてもしょうがない。もうひと頑張りしてみるか!」
まだ終点までは距離を残していたが、次第に緩くなり水深の増すに決まっている流れを手持ちの仕掛けで探ってみても、今さっきのように外道のウグイ、ナマズ、あるいはニゴイにもてあそばれてしまうのが落ちだという気がして心持ちが悪かった。
私は、ふたたび鱒の釣れた辺りでもうひと流してやろうと、釣りを開始したところまで河原を歩いてもどってみた。
そして、いま結んであるフライの代わりに地味な色のウエットフライを取り出してティペットの先に結び直した。浮力に乏しいマテリアルを組み合わせたそのフライは、マテリアルの量自体を減らして巻いてあるために尚のこと沈みやすい特性を持つ。流れのなかでは動きがおとなしいために鱒へのアピール度は高くないが、流れによく馴染んでごく自然な漂い方をするタイプであった。
しかし、どのフライを結んで、どのように攻めようとも、ライズすらなくなってしまった閉じられた流れで鱒が釣れるかどうか自信がなかった。
それでも、いざ釣りを再開するとアタリは面白いように来た。自分の立つ側へと仕掛けは徐々に寄せられて来るのに、フライは水中のある一点で止まって動かない。そんなふうに感じる瞬間があって、空アワセしてみると、いきなりロッドが絞り込まれた。水中で鱒がフライを捕えたまま、じっと動かずにいたのだ。
そのあと、また鱒が釣れたが、どれもサイズ的には満足のいくものではなかった。
その後、アタリは遠のいたが、じっくりフライを流していると、幸運にも四尾目がヒットした。しかし、掛かりどころが悪かったようで、どれほどもやり取りしないうちに取り逃がしてしまった。いちど浮かびあがってきたので中くらいの大きさの鱒だと知れたが残念であった。
もう少し釣りをしたかったが、暗くなると石の河原は歩きづらい。ライトは用意してなかったし、車までは少し距離があるため早めに切り上げる必要があった。私は早々に道具をたたむことにした。
戻る際に、萱の岸沿いをわざと大袈裟に足で水を蹴りあげながら歩いていると、それに驚いたトビケラが茂みのなかからとびだして来て、私の周りをせわしなく翔けめぐった。
風は絶え、万物すべてが静寂のなかで息をひそめていた。私が動かなければ、萱の茂みのトビケラも騒ぐことはなかった。トビケラは肌色っぽくみえるテント型の羽根に焦げ茶っぽい縞模様を描いたのが三つばかり、同じ萱の若葉に止まっていた。私が使ったウエットフライのサイズよりも明らかに大きい種類だ。
私はそのトビケラを、しばらくのあいだ息をつめて見つめていた。

釣行レポート

いつもの定位置に駐車した

釣行レポート

このタックルなら鱒とのスリリングなやり取りが楽しめる

釣行レポート

ティペットは強度に富むグンターを使用

釣行レポート

ひたすらアタリを待つ。わくわくしながら

釣行レポート

葦のの茂みに沢山ひそんでいたのと同じトビケラ

釣行レポート

今回はウエットフライ用の5番タックルで釣った

釣行レポート

今回は低番手のタックルのため、結ぶフライも小さ目となる

釣行レポート

撮影のために活かしておいた2尾。あとでリリースした

釣行レポート

夕暮れ、釣りを終えたあと、流れを観察する

釣行レポート

流れを横切るフライに鱒が食いついた

釣行日 平成25年5月23日(木)
釣り場 徳島県吉野川本流(三野町)

(タックル)
ウエットフライ用の5番
(ティペット)
ユニチカ・グンター1.2号

④ 気分が乗らず早仕舞い
五月二十五日。
書きものをすませてから、鱒を釣りに出かけた。
三野町の釣り場には午後三時前に到着。さっそく仕掛けを組んで、広大な石の河原を瀬の方へと徒歩で向かった。
池田ダムが計画的な放水を開始して、今日で五日目だ。
この辺りは国道に沿って川が流れているので、ガードレール越しに容易に流れの様子を窺い知ることができるのだが、ダムの放水によって水位があがる数日前にここを通りがかったときには、じつに弱々しいつまらない流れであった。
それが、今日はどうだ。とても素晴らしい。
最初から釣り下ろうと思っていたので、私は流れ込み近くのやや水深の浅い速い流れのところから釣りを開始した。すると、いくらも釣り下らないうちに瀬の流芯をかすめ過ぎようとしたミノーにコツッという小さなアタリが来た。私は対岸側のやや下流に向けてミノーを投げたあと、リールをタダ巻きしていたにすぎなかったが、この初めてのアタリの感触に気分をよくした。
また来るかとわくわくしながら待ったが、その後、何事も起こらずじまいに私は仕掛けを回収した。
「ええ。食いつくと思ったけどなあ」
納得できぬ私は、もういちど同じコースにミノーを通してみようと思って、対岸下流の流芯の少し向こう側へと慎重にミノーを投げ入れた。そして、少し下流側へと仕掛けを送り込んでから先ほどと同じ速さでリーリングを開始した。そのうちミノーが流芯に入った手応えが仕掛けからロッドへ、ロッドから手元へとありありと伝わって来て、「そろそろ来るぞ」と私に大きな期待を抱かせた。
しかし、ここぞというところを過ぎてもなんら音沙汰がない。
「なあんだつまらない」と私は内心がっかりした。
ところが、仕掛けが私の立ち込む岸の側へと寄せられながら私の手元までもう少しで帰りつくという段になって、唐突にアタリが来た。それは、アタリというよりも、有無を言わさず押さえ込むといった感じで、おおっと声が漏れたときには、すでにドスンという手応えと共に勝手に魚が食らいついていた。
鱒であるのはまちがいなかった。食いついたあと水中でギラッとして、それから横走りしたときにバッチリその姿を確認していたから、私は慎重なやり取りを心がけなくてはならなかった。弱らせて徐々に近くまで寄せて来たわけではないのだ。そこらへんまで追ってきて食いついた。だから、鱒には私とやりあうだけの力がじゅうぶんにあった。じっさい、鱒はありあまる力をふりしぼって水中を駆けまわった。私は鱒が水を脱いで躍りあがらぬようにロッドの先端を少しだけ水中に入れて応戦した。
リールからラインを剥ぎ取っていくほど巨大な鱒ではないが、その力強さから悪くないサイズだと知れた。
「尺は超えているだろう」
私は期待した。
尺は楽々超えているはずだった。
ところが力尽きて足元へと寄ってきた鱒を見て私は自分の目を疑った。
「嘘だろう」と私は声を漏らした。
よく肥えた美しい鱒ではあったが、贔屓目に見ても27センチくらいしかない。
でも、まあ、鱒とのやり取りをじゅうぶん味わったうえでの最初の一尾なのだから、それはそれで意義がなかったわけではない。
ここはひとつ素直に喜んでおくことにしたい。
ところが、その後、釣り場をなかほどまで釣り下ってきたとき、下流側の川岸に乗りつけられた四輪駆動車からルアーマンが降りて来て釣りの準備をはじめた。
そして、べつに悪びれる様子もなく、その後まもなく釣りを開始した。
広々とした大きな流れだけに、私と彼との距離は目算百メートル近く離れていたかと思う。
これだけ遠いのだ。べつにかまわないだろうと彼は思ったのかもしれないし、あるいは何も考えずに釣りをはじめたのかも知れなかった。それでも、鱒釣り師には鱒釣り師としての礼儀があり、それは暗黙の了解を得て悶着の起こらぬようになっている。
つまり、ある一つの区間で先行者が竿を出していたら割り込まない。もし釣りをするときも先行者に断ってから、先行者が釣り上がっているならその下流側に、釣り下っているのなら上流側に少し距離をとって入川すべきなのだ。それがマナーである。
とはいえ、彼のところまでわざわざ説明に行くのも面倒だった。いい気分で釣っているところに、わざわざ水を差しに出向くというのも気の毒な話だ。
まあいいかと思って、私は川からあがった。

釣行レポート

おおっ!鱒が不意に岸際へと走る

釣行レポート

ノリーズ・レイダウンミノー稚魚にヒット!

釣行レポート

よく肥えた綺麗な鱒だがサイズはイマイチ

釣行レポート

河原を歩く。ひたすら歩く。流れに向かって

釣行レポート

偶然行き会った石積み。誰が積んだのか?ここは賽の河原か!

釣行レポート

今回、鱒がヒットしたルアー

釣行レポート

長大な瀬にミノーを躍らせる筆者

そのあと、おとといウエットフライで鱒を数尾釣りあげた少し上流の瀬へと場所替してみたが、そこでも見惚れるような大きな鱒は姿を見せずじまいであった。
なんだか燃焼しきれない自分が少々歯痒くなくもあった。
全くダメだったわけではないのに、ボウズを食らったときのような後味の悪さが残った。
「今日はここまで!」
私は、シルバースレッドトラウトクリアー6lbに結んだミノーを結び目から切り離してケースのなかにもどすと、すごすごその場を立ち去った。

釣行レポート

いいポイントはまだまだある

釣行レポート

吉野川本流の定番ライン

釣行日 平成25年5月25日(土)
釣り場 吉野川本流(三野町)

[タックル、ライン]
ロッド UMFウエダ STS-74MN-Si BORON
リール ダイワ・ニュー イグジスト2004
ライン ユニチカ・シルバースレッドトラウトクリアー6lb

追記

七月中旬の現在、私はすでに退院して、ぼちぼち日をやり過ごしているが、もうそろそろ釣りを再開するつもりでいる。
むろん、釣れたらレポートを順次書くつもりなのだが、入院前に読者から不満の声が寄せられたことがあった。それは、今年三月の釣行記事、『勝浦の桜、海部のアマゴ』と題して書いた作品に対してのもので、「二部仕立てのうちの勝浦川の話はじつにうまく書いてあるのに、後からの海部川の方は文章が雑で、無駄な言葉も多く、なかなかに読みづらかった。後味悪く損をさせられた気がする。できれば手を入れてうまく仕上げて読ませてほしい」という趣旨のお小言である。
なるほど、読み返してみて、まったくその通りだと片腹が痛かった。
書き改める前に入院してしまったので、この退院を機に読みやすいよう手を入れてみた。
どうぞ、ご覧になっていただきたい。
では、みなさん、今後ともよろしく!
そして、よい釣りを!

ページのTOPへ

釣行レポート一覧へ