2014年4月26日
田所氏、大歩危峡(おおぼけきょう)を釣りめぐる
ちょっと前に当ホームページで紹介した関川水系の浦山川がいいらしい。よいサイズのアマゴが釣れているそうだ。渓流釣りが好きで、鉱石も好きな青年が知らせてよこした。
魚を釣りたくてしょうがない年頃の若い者が自分から進んでどこそこでよく釣れているなどと情報をくれるなど下心でもあるのかと勘ぐってもみたくなるが、やはりそのようで、なんと、まあ、それが予期せぬ恋愛についての悩みごとであった。気になっている女の子がいるそうだ。その娘さんも、彼と同じく女性にしては珍しく鉱石が好きで、その道の集まりで知り合ったそうだが、その女の子がイマイチ誘いに乗って来ないのでブルーな気分でいるらしい。
「学術的な集まりとか、珍しい石が出る山や川などへは遠くてもおかまいなしに出かけるのに、ぼくが、お茶でもどうって誘っても、そのう、なかなか乗ってこないわけです。その日は忙しくてごめんなさいっていうので、次また誘うと、こんども用事があるそうで。もっか三連敗中です。こうも負けがこんでは、がっかりして気晴らしに出るにも、動くに動けないですね」
「そういわずに、釣りでも、飲み会でも、行けばいいのに」
「それはそうですが、落ち込んじゃって」
「で?」
「どうしようかなって。何か打つ手はないかと」
「連絡はしてくるの?」
「電話すると楽しそうに応じてくれますし、メールもまめに返信してきます」
「そう」
「そうって?」
「そうだな。脈ないのかなってさ」
「えっ?」
「えっ、なんていわれても、どうする気だ?」
「どうしましょう」
「情熱をもって臨むか、他にいい子を探すか」
「簡単そうに言わないでくださいよ」
「簡単さ。じつに簡単だ。君は今風にいえば、イケメンなほうだし。ところで、君の先生はなんて? 鉱石大先生は」
「まだ話していません」
「そう」
「情熱でなんとかなるかなあ」
彼は他人事のように言って、口ごもった。
「さあ、どうだろうね」と私は言って品よく笑った。
もし情熱だけで魚が釣れるなら、これほど楽なことはない。
「だが、情熱は大事だ」と私は言った。
だいいち、どうして用事があるというのが、彼女の口実だと決めつけられるのか。断るなら、次また断るときは前とちがう理由を口にするだろう。単に用事があると具体性を持たせないのは、ただちょっとした用がほんとうにあって、素直にそれを口に出したにすぎないのかもしれない。
それに、彼女が彼に、今度どこそこの集まりに顔を出すとか、石の展示館へ行くとか、一度ならず打ち明けて言うのは、それを好意的にとるならば、「ご一緒しませんか」と誘っているようなものだ。
彼の話しぶりからは、その辺のニュアンス的なものがまるで伝わらないので、どう答えてよいものか弱ってしまう。
でも、まあ、半分情熱が失せたオッサンに、青年の昔を思い出してアドバイスしろということ自体が、そもそも無理というものだ。
答えてやれないのなら、情報のアマゴだけいただくというわけにもいくまい。そう思った。
だから、浦山川には行かないことにした。
そのかわり、最近、足しげく本流に通っている田所幸則氏のパジェロに同乗させてもらって、吉野川の中流域へと鱒釣りに出かけた。この辺は池田ダムよりも下流側と上流側で川の相がかなり異なる。ひらけた流れの下流側にくらべ、上流側は概ね両側が切り立った岩だらけのゴルジュのなかを押しの強い流れが荒々しく落ちくだる場所も少なくない。
また、流れの緩い淵は澄んでいるにもかかわらず、どれほど深いかその底の様子が窺い知れぬ。
今回は、舟くだりのコースにもなっている大歩危峡の少し下流側と、もっと下流の山城町の役場の少し上流の二カ所で釣りをした。釣りをしたといえば聞こえがよいが、じっさい竿を出したのは田所氏だけで、私はカメラを持ってついて歩いたに過ぎない。最近、体調がイマイチなのだが、この日は気分もすぐれなかった。かといって家でごろごろしていたくもなかった。ここのところジャンルの異なる文章を数編同時に、あれ書きこれ書きして、仕上げるのに神経を使ったので、清々したい思いが堰を切ってあふれだしていた。要するに自然のなかでくつろぎたかったわけだ。それには、川が一番だった。
最初の釣り場に着く早々、田所氏が私に訊いた。「ここって大きい鱒、釣れるの?」
もちろん、釣れないわけはない。サイズは35cmくらいが大きい方だが、背のこんもりと盛りあがった、超幅広の、魚体丸ごと筋肉の塊であるかのような、強い生気をみなぎらせた屈強なファイターが多くひそんでいる。
むろん、上出来の流線美を誇る鱒も少なくない。そのなかには銀色の細かい鱗の下にパーマークがうっすら透けて見えるものもいる。アマゴのしるしの朱点もちりばめられている。私たちが敬意を表して鱒と呼ぶのは銀化した大型のアマゴであるが、近年めっきり少なくなった。40cmを超す鱒は、めっきりその数を減らして来ている。いまは尺を超えるか超えないかというサイズの銀化アマゴをも鱒と呼んで憚らない。
「ヤッホー」と叫ぶと、声が切り立った岸壁に跳ね返されて、こだまを起こす。
これが仕掛けを組む田所氏に、「アホう」と聞こえたらしい。
「おう、俺は釣りの阿呆よ。へっへ」
田所さんは大きな声で言って、いつになく上機嫌のようである。
「ときめくねぇ。初めての場所は」
「なんでも、初めてはね」
「釣れるかな?」
「さあ、どうだろうね」と口にして、私はちょっぴり可笑しかった。
「おいおいちょっと。ほんとに釣れるのでしょね? 超幅広のでかいヤツ」
「もちろん! 神様のご機嫌しだいですが」
「なに、それ。さあ、どうだろうねとか、神様とか」
「居るのは確かですよ。けれども釣れるかどうかは運を味方につけないと。たとえば、いい気分で上手に鱒をあしらっていたとしても、足元で釣り落とすってことだってある。それに、情熱だけでは、鱒は手ごわいですぞ。鱒は」
「何か、それって女の子にアタックするときの話みたいじゃないの。最近いい思いしてないからね。釣らなくちゃ」
田所氏の言い様は、女のことか、魚のことか、ちょっとわからない。
「一念、岩をも穿つってね」と私は言って笑った。
「岩をも砕くでしょ」
「そうか。でも、ちょっと、この穴、凄いよね。どれくらい歳月を費やしたら、こういう穴を岩に穿つことができるのだろう」
「落ちたら身動きできないね」
「まったく。たしかに狭いし深いね」
「しかし、どうやったかは知らないが、水の力には恐れ入るね。あの底の石ころが流れでぐるぐるまわって、掘り進んだろうか」
「そうだね。ほんと、よく掘ったものだ。もともと渦を巻きやすかったわけでしょうね、ぶつかる流れがね」
「大水が出るたびにね」
「そのとおり。気が清々するなあ」と私は言って伸びをした。
田所氏が言った。「では、そろそろ大鱒をやっつけにかかりますか」
ところが、いくらいいところにルアーを投げ込んで、上手に誘っても釣れてくるのは渓流で釣れるサイズとちっとも代わり映えしないアマゴばかり。
「これじゃ本流へ来た意味がないよ」
たしかに田所さんの言うとおりである。
それならば、どういう手を打つべきか。ちょっと考えてみても、そんな魔法のような裏の手など思いつくはずもなかった。
「やっぱり情熱だね。情熱をそそぐしか手はない」
「何が情熱ですか。超幅広の鼻が曲った鱒が食いつくというから渓流に行かずにここへやってきたのに」
「では、場所替えしよう」
私たちは、もう少し下流のJR川口駅近くの荒い流れの瀬へと移動した。
けれども、ここでも田所氏は渓流のレギュラーサイズ程度のアマゴが少し釣れただけだった。
岩盤のちょっとした窪みに土がたまって、そこにツツジが花を咲かせていた。
ツツジ以外の名も知らぬ花も少なくなかった。
私は、カメラを岸の岩盤にも向けて、気が向くとシャッターを切った。
対岸で野鳥の声が聞こえた。
田所さんは、時間を惜しむように、一生懸命仕掛けを投げては巻き、投げては巻きしている。その背中が祈りをささげる人のように清かった。
太陽はもう山の向こうに隠れてしまっている。辺りが目に見えて薄暗くなってきた。
「恋も釣りも情熱さ」と私は言った。
だけど、結果は、神のみぞ知る!
だが、人生、そうそううまくいくもんじゃないんだぜ。
そんなことを思って岩の頭に腰をおろしていると、アワセを入れた田所さんのロッドが大きく曲がった。
私は、グイグイと仕掛けを引いて水中を走りまわる大きな鱒の姿を想像した。
「情熱、情熱!」
やり取りしながらそう叫ぶ田所氏の後姿が目の先でのけぞっている。
私は岩の頭から腰をあげた。そして、またカメラの電源をオンにした。
「情熱。ヤッホー!」と田所氏が声高に叫んだ。
扱いやすさと抜群の強度、本流の定番ラインだ
みずみずしいギボウシの葉
悠久の時を刻んだ地層が覗く
岩だらけのゴルジュにも花は多い
岩場を伝っての移動も少なくない
自然が仕掛けた落とし穴。さぞや堀るのに歳月を費やしたろう
意図なくしてこうなるとは思えない。自然は芸術家である
流れが緩ければ浅場を渡る方が安全
ひらけた流れを釣る。見た目よりも流れは速い
アマゴがヒット
「ひえ〜ちっちゃぁーい」と笑むも心境は複雑そう
対岸寄りの頭を出した石付近でアタリが
「うわっ、足元まで追って来た!」
足元で暴れまわるアマゴ
またこのサイズ。「今日はちっちゃいのが多いねえ」
今回は抜きあげられるサイズが多かった
日が暮れ、一日が終わろうとしている
【今回の使用タックル&ライン】
ロッド : ウエダ トラウトスティンガー82Tiボロン
リール : ダイワ セルテート2500
ライン : ユニチカ シルバースレッドトラウトクリアー 6lb