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釣行記

釣行レポート

釣りの周辺

2014年5月18日

メバル用ルアーロッド「男爵」 

 竹の風合いをみせるグラファイト製のメバル用ルアーロッドに「男爵」というのがある。ラインナップはいい加減で、男爵の信奉者が注文に竿屋(高松市内にあるフラグメントという名の店だそうだ)を訪れた際に、「おれは7フィート半がいいぜ」とか「8フィートにしてくれ」とか頼むので、めちゃくちゃアバウトになってしまっているそうだ。
 しかし、この店の職人の腕前はなかなか確かなようで、竹の節の見てくれひとつ取ってみても相当本物にちかい仕上がりになっている。この竹の節まで酷似させる技法というのは、ヘラブナを釣るウキを製造販売していた竿菊のおやじさんが、釣り竿も手がけていた生前に、おそらく試行錯誤のうちに編みだしたものだと思われる。この技法は、ウキにも用い、竿にも用いた。目の前で実際に節を作る工程の一部を拝見させてもらったことがあるが、ブランクに糸を数回巻きつけて盛りあがり感を出してから色づけをし、その後に塗装するのだと話された。
 竿菊のおやじさんが亡くなったあとは、息子である有名トラウトルアービルダーのいさおちゃんが本業のトラウト用ルアー制作のかたわら、ヘラブナのウキ作りにも精を出していたのだが、いさおちゃんも数年前に突然亡くなってしまった。
 その竿菊さんの竹の節が、いま男爵のメバル用ルアーロッドに再現されてよみがえった。しかし、それはそれで嬉しいことではあるが、たしかにその繊細な技術の腕前はじゅうぶんプロの域に達していて素晴らしいには素晴らしいが、やはり本家本元の竿菊のおやじさんの名人芸には、いま少し及ばないようだ。
 だから、フラグメントのロッドビルダーさんには、先達に追いつけ追い越せで、これから先も真剣に妥協のない竿作りを心がけてほしい。努力しつづけてほしい。そう心より願ってやまない。

 さて話は変わるが、庵治半島のサーフで相変わらずメバルが好調だ。詳細は雑誌にも、またホームページにも書く予定なので、そちらをご覧になっていただくとして、男爵が手に持っているクラスの良型が毎夜のごとくに釣れている。しかも、もう1ヵ月以上つづいているのだから驚かざるを得ない。ここだけの話だが、尺メバルも顔をみせることがある。
 むろん、今夜は私も出かけるつもりでいる。

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今回使用の、エギングスーパーPE8(8本編)0.6号

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男爵の仕掛けは強すぎ。ふつうはナイトゲーム・ザ・メバル・スーパーPE5lb(0.4号)程度

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竹の風合いが趣をかもし出すメバルロッド「男爵」

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庵治半島の砂浜に群生するハマヒルガオ

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日暮れ近い鎌野の浜。すでに釣り人の姿が

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この夜(5月18日)は男爵と私で、良型を9尾釣りあげた

【今回の使用タックル&ライン】

ロッド : フラグメント 男爵860

リール : シマノ エクスセンスC3000

ライン : ユニチカ キャスラインエギングスーパーPE8 0.6号

ロッド : ユニチカ アイガーⅢスーパー1.2号

ロッド : エコギア メバル職人ミノーSS、エコギア メバル職人ストローテールグラブスリムなど

2014年6月3日

シクラメン・コウム

 シクラメンは日本人になじみの深い植物である。しかし、園芸交配種は花屋で容易に買うことができるけれども、原種となるとなかなかそうもいかない。店頭で見て気持ちが動いたから買って帰るというような気軽さで手に入れることは難しい。
 私は数種類の原種を鉢植えにして育てているが、コウムという種類のシクラメンがおもしろい。どうおもしろいのか。それは、写真をご覧になっていただければ一目瞭然である。花が終わると、花が咲いていた茎の先に、めでたく実を結ぶことがある。その実は最初米粒ほどの大きさで、その実を包み込むように、すんなり伸びていた細長い花茎がくるくるくるりと螺旋を描いて縮こまる。その実は花茎の螺旋にくるまれるかたちで日に夜に膨らみつづけ、やがて螺旋から大きくはみだすまでに熟すと、ヘタの部分で実と茎はプッツリ切れて離れてしまう。やがて、実のヘタの辺りに丸い穴があいて、その穴から肉眼で数えられる大きさと数の種(正確には根塊か)がこぼれ落ちる。ヘタの側は必ず螺旋の外に向いているとはかぎらないが、その実は地上すれすれに、しかし花茎の螺旋に巻かれているせいで少し浮いていたりする。穴のあいた方の側にわずかに傾斜しているものは、その実から種が地面に転がり出やすくなっている。しかも、花茎をすっかり巻ききると実は親株の間近に接するように熟し、半分ほど長く伸びたままだと親株からやや距離を保ったままその実を熟させることになる。もし穴からこぼれ出ずに、その実のなかで種の粒が膨らんでくるばあいは、やがて、その実の外皮が裂けてなかの種はどのみち地べたにばらまかれることになる。
 ところで、この花茎の螺旋は育つ実を外敵から守っている、つまり実を食われないように気をつけているのだと植物の本に紹介されているのをよく目にするが、それはほんとうか。花茎は鋼鉄で出来ているわけでもないのに、こんなものでほんとうに実を守れるのか。
 たとえば、うちの男爵(三木一正)が、あの厳つい風貌で見張っているなら容易に手は出せないだろうが、じっさいのところどのくらいその効果があるのだろう。歯の鋭い虫に齧られたら、それこそイチコロではないか。
 それなら、あの螺旋は、ほかに何の役に立っているというのか。これについては、今後じっくり考えてみなくてはならないだろう。
 観察はじゅうぶん過ぎるに越したことはない。
 何につけ観察から学ぶところは、想像以上に多いのである。

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シクラメン・コウムの白花

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親株から離れたところに、わざと実を結ばせたか

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親株のそばにこぼれた種

たとえば、「釣りだって、然り!」である。
つまりは、現場主義の徹底である。
よく観察し、考察し、行動する。
そいつが肝心だ。

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このアコウは4月13日に引田町のブル波止で釣った

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観察眼を働かせながら釣ることが大事だ

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状況を睨みつつ仕掛け組む

2014年6月4日

ものぐさ 

 釣りをするために生まれてきたと豪語する野郎が私のまわりにはけっこういる。
 おまえはどうだと訊かれたら、「もちろんさ!」と熱く返答してみたいものだが、あんがい根がものぐさなもので、それほどまでに思い入れが強いというわけでもない。
 釣りも、書くことも、むろん好きではあるが、本音をいえば、なにもせず、なにも考えずに、ぼうっとしているのが一番好きかもしれない。
 いま、夜の7時過ぎ。ノラ・ジョーンズを聴きながら書いている。
 テレビによれば、四国も梅雨入りをして、明日も明後日も雨らしい。
 今も雨で、風もわりとある。
こんな悪天候の夜は読書をするか、フライを巻くか、そうでもなければ部屋でごろごろしているにかぎる。仲間の誰かが、「釣りに行きたいぜ! もちろん行くだろ?」と問うて来そうな時間帯だが、「バカを言ってはいけないよ」である。
 ごろごろするのがもったいないなら、〆切の近い原稿を仕上げにかかるという手だってある。でも、釣りに行こうと思ってせっかく時間を作っておいたのだから、それはしたくない。現実にそうはしないで、全然別の誰に頼まれたわけでもないこの原稿をいませっせと書き進めている。
 ノラの歌声に痺れながら。

 いま、ノラが7曲目を歌い終えようとしている。
 すると、ふと小さな沢へ単独でイワナを釣りに出かけた日のことが何の連脈もなく脳裏に浮かんできた。
 あれは、たしか20日ほど前のことである。
 フライで、けっこうな数のイワナやアマゴが釣れて楽しかった。

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自作のウエットフライ

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夏の沢では日暮まで釣ることもあるのでライトは必携だ

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杉の種は杉の倒木に芽を吹く

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釣行は5月14日。早明浦ダムに落ちる小さな渓流で

【今回の使用タックル&ライン】

ロッド : Yasutaka-Nagao 7ft6in #5/6

リール : ハーディー ライトウェイト

ライン : 3M ウルトラ3 DT5F

ロッド : 4X7ft

ロッド : ウエットフライ各種

2014年6月6日

弟子

 弟子について訊かれることがある。
「いるよ、もちろん」
 そう答えると、友人知人のなかには、
「ほう。意外だな」と笑いを漏らす者もいる。
「どうしてだ」
「いや、そう来るとは思わなかったものでね」
 弟子など持たないとでも答えるにちがいない、そう思われていたようだ。
 それはそうと、弟子という言葉を聞くと、私は次のような或る有名な話を決まって思いだす。
 フランツ・リストが地方の田舎町を訪れてみると、リストの弟子を名乗る女ピアニストが独奏会を催していた。小さな田舎のことだからリストがやってきたことで話はもちきりであったろう。女は自分の嘘をリストが聞きつけるのも時間の問題だと観念したのか、リストが泊っているホテルに詫びを言いに来た。すると、リストは、その女ピアニストをホテルのピアノの前につれていき、独奏会の演目の曲を二つか三つ弾かせて、少しばかりのアドバイスを与えたのち、「さあ、あなたはこれでもうリストの立派な弟子ですよ。直接、わたしから手ほどきを受けたのだからね」と、叱るどころか女を元気づけて帰したというのだ。
 どうです。
 ちょっと、いい話でしょ。
 だが、私はリストが単に心根の優しい人品確かな人間だと手放しで称賛しているのではない。リストは女が謝りに尋ねて来たとき、静かに、物腰柔らかな紳士的態度で、しかし、しっかりその眼力を発揮して女を観察しただろう。アドバイスを与え、弟子と名乗っていいよと答えたのだって、リストは女の人柄と音楽に対するひたむきな情熱と、それになによりもあるレベルを超えた演奏の腕前を買ったからこそ、「あなたに弟子と名乗ることを許そう」と告げたのにちがいない。
 誰もが知るとおり、リストは超絶技巧の凄腕ピアニストであった。音楽史に名を連ねる名ピアニストである。
 けれども、私は師匠と呼ばれる人間が、必ずしもその道の腕前に長けていなくてはならぬとは考えていない。からっきしではダメだが、十人並み以上ならじゅうぶんだ。
 才能ある者を、その道の一流になれるよう、身の立つように、上手に導いてやれる人。私はそういう才能をいかんなく発揮できる人こそ、いい意味での師匠であると思っている。
 弟子は弟子で、十人十色。同じ導き方は通用しない。釣り師が、自然を、魚を、よく見てかからなくてはならぬように、師匠は弟子をよくみて導かなくてはならないだろう。
 それには人の気持ちがよくわからないでは務まらない。
 こう考えるとき、私は自分に愕然とする。
「師匠」と呼ばれることに、悪い気のしないのは確かだ。
 しかし、同時に暗くて深い穴に突き落とされるような気がしないでもないのも事実である。
 精進しなくてはならないのは、教わる側はもちろんであるが、それ以上に指導力不足な自分のほうであるかもわからない。
 きっと、そうであるにちがいない。

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去年の年末に紹介したマダイが、4月下旬から釣れている小鳴門海峡

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松浦宏紀。男前ながらたいそう身持ちが堅い

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研究熱心な松浦はメバルを釣らせてもうまい

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小鳴門海峡は真鯛の魚影が濃い

2014年6月10日

スーパークールビズ

 今年のクールビズは強力らしい。なんてったってスーパーを冠したクールビズなのだから、いかにも凄そうだ。チンピラの兄ちゃんも真っ青になるようなド派手なアロハシャツでの出勤もオーケーだとか。
 しかし、靴下を履かないとか、短パンで出勤するだとか、シャツの腕まくりをしてデスクワークするだとか、ポロシャツのボタンをはずして襟を立てるなんていうのは女性からのダメだしを食らうようである。
 テレビのワイドショーで街頭インタビューしているところが映っていた。
 靴下を履いてないと靴が臭くなる。結果、足が臭くなる。そんな意見も出ていた。
 ところがインタビューでマイクを向けられて答えているその女の人のすぐ後ろを通っていった娘さんは夏足で、靴下もストッキングも履いてはいないようだったが、なぜ男の靴(足)だけが臭くなるというのだろう。さっぱりわけがわからなかった。

 男爵のところの運送会社は、夏は仕事着が半袖のポロシャツだから、夕方、会社に遊びに行ったとき、今朝、テレビで観たニュースの話を持ち出して二三質問してみた。
 すると、男爵はいつになくゆっくりした口調で、「襟を立てる!?そんな様子ではお客様の信頼を得られかねますなぁ。あのような者に大事な荷物を扱わせて大丈夫かってね。大きい取引先ほど服装や言葉遣いにうるさいものです。きっと、だらしなく思われるでしょう」と私に向って至極尤もなことを言った。
「男爵。妙に上品ぶった口を利くじゃないか」と私は揶揄して言ったが、何の仕事だって身だしなみは大事である。まったく男爵の言うとおりだ。
 人を見た目で判断してはいけないというのは、見た目で判断されることが多いという裏返しの意味だろう。断じてはいけないが判断される側に立ったら誤解を招かぬようきちんとした身なりでいろ! そういうことか。
 まあ、街頭インタビューというのは、その放送局のスタッフらが、放送したら面白いだろうなと思うものばかりを切り貼りして、映像に載せているのにすぎないだろうから、あんまり真に受け過ぎるのもどうかとは思うが、たとえば腕まくりして仕事にいそしむ男がなぜダメだしされなくてはならないのか。どうしてどっこい頼もしいではないか、腕まくりは!そう私などは思うのだが、いかがなものだろう。

 男爵のところから家に帰る車のなかで、着信音と共にメールが届いた。釣り仲間からである。もう少ししたらマイボートで女木島へメバルのサグリ釣りに行くそうだ。沖堤防かと思ったら漁港の波止でのんびり竿を出すという。釣れたら写真を撮っておくよ、とも書いてあった。
「そいつは楽しみだぜ!」
 餌は、ゴカイだそうである。

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サグリ釣りの道糸はナイロン、フロロを状況に応じて使い分ける

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6月になってサグリ釣りでメバルがよく釣れている

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高松市沖の女木島もメバルが多い

2014年6月13日

けさのこと

 けさ、郵便局へ行った。
 書き損じのはがきや料金改定前のはがきを交換してもらうのと、切手を少しばかり買うためだ。
 その郊外にある郵便局に入るのは初めてだった。県立の植物園を冷やかしての帰り道だった。
 車の往来の多い国道を避けて、昔からある街道を走っていた。田舎らしいたたずまいの人家、商店、雑木林が朝の空の下に配られて、田畑もみえて、そうしょっちゅう通るわけではないが私の好きな道のひとつだ。
「この先だったな、たしか」
 そう、たしか、右側に郵便局があったはずだ。

 車を駐車場に滑り込ませて、農機具の会社の名の刷り込まれた帽子をかぶったじいさんが出てきた自動ドアから、じいさんと入れちがいに私は局内に入った。わりと繁盛している。飯屋ではないし、繁昌は変か。とにかく、通帳に目を落とし腰かけたまま呼ばれるのを待っている自営業者の奥さんらしきおばさん、カウンターに置いた小包のそばで局員に料金を支払っているばあさん。このほかにも客がいたが、局員の応対ぶりからしてみんなご近所さんのようだった。
「・・・・・お待たせしました。こちらへどうぞ」
 べつに待たされという感じはしなかったが、ひとつ仕事をすませたあとで私を呼んだ女の局員さんの応対ぶりには感心させられた。仕事の手際がよいというばかりでなく、会話の妙を心得た表情豊かな婦人だった。渡したはがきを、さっと扇状にひろげて数えはじめる。そのなかから少し古ぼけたはがきを抜き出して、これは平成6年のはがきで、20年経つと言った。そして、この年に生まれた子らも今では立派な成人ですと持ち前の明るい表情と声で私に語りかけるのであった。初対面だと気難しい面が覗く私をまんまと話の台上に乗っけて、しかもいい気分にさせる、その機知に富むことば運びに、私は舌を巻いた。
 はたせるかな、これこそ、プロの仕事であるという印象を持った。

 気分のよいままに、午後から単独で志度湾へキスを釣りに出かけた。ほんの短い時間釣っただけだが、きれいなキスが数尾ばかり釣れて楽しかった。
 これからの夏場はピンギスが多くなるが、ひらいて衣をつけて天ぷらにすると美味い魚なので、釣らないという手はない。
 近いうちに、今度こそ本腰を入れて、また出かけてみようといまから楽しみにしている。

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道糸はキャスライン磯投2号を使用した

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マルキュー パワーイソメを使用

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志度湾でチョイ投げをしたらキスが釣れた

2014年6月18日

箴言(しんげん)

「若くても美しくなければしょうがない。美しくても若くなければしょうがない」
 このような箴言は、ある年齢に達したら、「ふふっ」と一笑に付して、それっきり聞かなかったことにして済ますがよい。
 そうでもしなければ、私のようにこれといって能のない凡人は、晩年を暗くうつむきがちなまま、一生の最期の時を迎えなくてはならなくなるだろう。
 さて、話は去年の暮れころにさかのぼる。一席盛られて久しぶりに酒を注がれたはいいが、隣に座った女の子がフラミンゴみたいにスラッとしすぎていてどうにも興に乗れず、しかも、知識のひけらかしで店の子らの気を惹こうという魂胆からか、やたらどいつもこいつも東西の賢人の吐いた格言、箴言、名言のたぐいを、頃合いをみては知識人面して女の子たちにぶちかますので、グラスを2ハイと干さないうちに、くだらない茶番にもううんざりしてしまった(文学好き野郎どもの飲み会だった)。
 そうこうするうちに、ややあって、マナーモードにして服の隠しに入れておいた携帯に写メールが届いた。釣果を見て気分がなおも落ち込んだ。岩場のごく浅い潮だまりに無造作にいい型のスズキを束にして横たえてある。
「来られなくて残念でした」と添えてあったが、いたって冷静のふうを装って、わざとゆっくりなんでもないという顔で、その場は携帯を畳んで済ませた。
 席が果て、タクシーに乗ってからも、私は腹の虫がおさまらなかった。

 ところが「来られなくて残念でした」とメールして来たその野郎が、急な用事とかで一緒に釣りに行く約束をキャンセルしてきた。
 数日前のことである(今日は6月18日だ)。  
 仕方ないので、荘内半島へひとりで根魚を釣りに出かけた。
 すると、まだ日も暮れないうちから、漁港の手前の海岸の石積み波止の先端で、ジグヘッドにセットしたワームをやや沖の海底に躍らせていると、ガツンとアタリが来てマゴチが釣れた。もう少し後にも、またマゴチが来た。
 私は、2尾のそのマゴチを白い腹が見えるよう裏返して携帯で写真を撮り、その野郎に送信した。
 それに添えた言葉は次のごとき内容である。
「・・・・・のっけからこれじゃ、さきが思いやられるぜ!」
 返信を待ったが、その後うんともすんとも言って来なかった。
「釣れたら、また知らせるよ」とメールで私はその野郎に憎まれ口を叩いておいてから、
誰に聞かせるともなく、こう言った。
「あぁ~あ、気持ちが清々した」
 しかし、その後は何も釣れなかった。

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なんと!ラインは、シルバースレッドトラウトクリアー6lb

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荘内半島でマゴチが釣れた

2014年6月23日

退路は断たず

 私たちは初夏の沢を釣りあがっていた。すでにイワナが数尾ずつ釣れていた。
 午前中は水面近くを何らかの水生昆虫、あるいは陸生昆虫の流下が目では確認できなかったが確かにあったようで、イワナたちは上流から流れてくるその餌を捕えようと浅い流れに出て躍起になっていた。私たちは代わる代わるその浅く澄んだ流れをうまく攻めて、ドライフライだけを使ってそつなくイワナを手に入れることができたわけだ。
 ところが、午後になると、もうライズは稀にしか見られず、沢の流れは冷たく閉じた感じがして、からっきしというわけではないが、たとえば経験の浅い同行の若者にとっては、相当苦戦を強いられるだろう状況へと一変した。
「おい。頑張らなくちゃいけないぜ!」と私は彼に発破をかけた。
 ほんとうに、一生懸命釣らねば釣果にありつけるかどうかもわからぬ、厳しい状況だった。
 それなのに釣りあがりながらちょっと手が空くと、この若者は恋愛についての一般論を持論めかして折々語りだしたりするであった。どんなジャンルにも一般論はあってしかるべきだが、一般論は一般論として論ずることに適切な場で論じてこそ意義があるのであって、自分自身に当て嵌めて役立てようと試みた途端、それはちょっとした何かの気休め程度の力添えにはなるかもしれぬが、以上の効果は、まあ、期待薄だろう。
 そして、彼の言動には明らかにその手の悩みがみてとれた。
 その彼が、「あの、鉱石好きの二人、その後どうなりましたか?」と訊いてきた。
 沢の石に腰かけて昼食の握り飯を食っているときだった。聞こえないふりをすると、彼は言葉を変えて、また同じことを訊いた。食べているときにうるさいやつだなと私は少し腹が立ったので曖昧にしか答えなかった。

 その件について少し触れておくとすると、私が勝手に当ホームページにそのいきさつを載せたのを当事者の彼が目にして、「もし彼女に知られてしまったら、ぼく、立場ないやないですか」と電話で苦情ともおのろけともつかぬことを言ってきた。そのとき、彼は私に、こんど一緒に加茂川へ釣りにいきませんかと私を誘ってくれたが、そろそろアブが出るころなので(刺されると年齢のせいかなかなか治らない)返事を渋っていると、また話題が彼女のことにもどった。
「ほんと立場なくなるなぁ、ぼく」と鉱石好きの彼は電話の向こうで、そうくり返した。

 どこからかウグイスの声が聞こえてきた。もうずいぶんこの沢とも長いつき合いになるが、ウグイスのさえずりを聞くのは初めてのような気がした。
 同行の若者は、「いやぁ、のびのびしますねえ」とウグイスの声を褒めたあと、ひとつ大きく伸びをして、「朝とたいしてちがわないようだけど、どこがいけないのかなぁ」と首を傾げたりした。その後も、彼は成績がふるわなかった。
 こう言うときは一息入れるにかぎる。すると、私に遅れて流れからあがって来た彼が浮かぬ声で何やらぼそぼそ語り出した。
 最近、セックスレスな関係の男女が自分のまわりにも少なからずいると彼は誰に言うともなく私に言って、うつむいた。
「元気出せよ。沢はイワナだらけだぜ」
「ええ、師匠に色気をふりまくイワナばかりですがね」
 彼は手ごろな石に腰かけて休むと、沢の澄んだ水に手を浸した。それからしばらく彼はなにかを探るような手つきに冷たい水を掻きまわしていたが、やがて両手で掬いあげると、こんどは器をかたち作ったその手の指をパッとひらいて、「ちぇっ」と舌打ちした。たちまち水は明るく落ちて、元の流れへともどっていった。ついさっき悪くないサイズのイワナを釣り落としたのが、よほど堪えているらしい。
 しかし、私にはセックスレスと釣り落としたイワナとのあいだには何ら関係がないように思われた。どこでどう話がつながるのか、ちょっとわからない。
「それは、健康な若い者の話だろう」と私は何食わぬ顔に訊いた。
「そうですよ」
「それって俺もテレビで観たことあるが、マスコミはこれっぽっちの話をこれっくらいにもふくらませて、さもそれが常態化しているふうに語るだろ。だから、どうだかあやしいな。しかし、それをまさか山奥まで釣りに来て君の口から聞くとは思わなかったよ。第一、女の方はともかく、それじゃ男の身がもたないだろう」
「それが、もつももたないも、双方平気で、それが普通になっているようで」
「昭和の男の俺からすると、バカ言ってんじゃないよって感じだけどな」
「ですよね。『ベルトから下に人格なし!』ですものね、男は。師匠からも、たびたびそう聞かされていますし」
「な、何を言う! 君」と私は否定した。
「でも、いつも」 
「なんだと、君、それは心外だぞ、そいつは。そのような、下品なこと。誰がいつ・・・・・」 「誰がって、いつもふつうにそういうふうに・・・・・」
「だいたい君はそういうことばっかり言ってないで、もう少し真面目に釣りに取り組まなくちゃならないぜ。フライもバランスよく巻かなくちゃ、君の作ったフライを目にした同好の士に軽く見られるからね」
「あ、はい」
 先にも述べたかと思うが、その日の午後は午前中とちがって、イワナの出が相当悪かった。そして、これは釣りの技術の未熟な彼にとっては当然不利な条件であった。しかし、彼はそこまで深刻に事態を考えてはいないようだった。その甘さも加算され結果的に私にこっぴどく打ちまかされてしまった。彼は、まあ、私に大敗した。
 そんな彼だが、釣りを終えて車を運転しはじめてからも持ち前の明るさからか饒舌だった。彼は自分の将来についての希望や不安、理想の異性像、懐具合のさびしい現状や経済不況に対する国の手の打ちようの手際の悪さなどについて思いつくまま私に語って聞かせた。
 彼は、暮れかけて見通しの悪い林道を、意外に慎重に運転した。
 彼が唐突に言った。「今どきの女の子は、お茶くらい、へっちゃらです。食事だって奢ってもらえるならにっこりして誘いに乗って来ますからね。ドライブだって、ヒューヒューです」
「なんだ、そのヒューヒューっていうのは?」
「だから、そのう、まあ、それはどうでもいいですけど、用事があるというのは、あのばあいあながち断る口実でもなかったと思います。そもそも、口実以前の問題です。ですから師匠の意見に賛成します」
 彼は、鉱石好きのあの男女の恋愛のゆくえのその後について興味を捨てきれないらしい。 「そうかい。どうにかデートにはこぎつけたようだが」と渋々私は答えた。
「あ、そうですか」
 窓をあけ放して走る車のなかは涼しかった。車が小規模の沢をまたいで通るたび、上流の方に目をあげたが、どの沢も石を越えて流れるさまに勢いが感じられた。今年の梅雨は、よく雨が降るから、いつもなら枯れ気味の沢も水が絶えずに済むのだろう。
 山の天気は、ふとしたはずみにも、崩れやすいものだ。山が雲を呼ぶせいで、降雨がもたらされるという人もある。
「でも、今日は完敗です。何でもありなら、ぼくにも勝ち目がなくはなかったのですが」
「ほう。それで?」と私は訊いた。
「たとえば、ドライでも、ウエットでもニンフでも、好きに使っていいなら。まあ、そう思いまして」
 彼はそう言うが、相応の技量さえ伴っておれば、午後からだってドライフライだけで本命のイワナは釣れたのだった。
「君がニンフを使ってルースニングをおこったところで、まあ、俺がウエットフライで自在に釣るのに比べれば、なんら屁でもないね」と私は淡々と、しかし勿体つけて言った。
 聞いているのかいないのか、彼は、なおも、「なんとかなったかもしれないけどなあ~」などと私が黙ったあともぶつくそ独りごとを漏らしたりした。
「ともかく、退路を断つようなまねはしないことだ」
「なんです、それ? 合戦の敵に塩みたいな」
「たとえば、君が女の子を釣りに誘ったら、山でも海でもいいけど、のこのこ着いて来たとしよう。君はその子に満更でもなくて、あわよくばという考えが脳裏をよぎる。その女の子は勝手わからぬ場所に来て、不安で、まるで立場が弱いから、まあ、魂胆のある君などは、それに乗じてどうにかものにできるかもしれなぞってクラクラしちゃうわけよ。シメシメなんてね。まっ、もっとも、君は見てくれが悪くないだけに、気をつけないと逆に押さえ込まれないともかぎらないけどな。アハハ」
「退路ってそういうことですかぁ」
「もちろん、ちがう。ちがうが、君が盛りのついた雄猫みたいな話題をたびたび俺に振ってくるから、ちょっと言ってみたまでさ。とにかく、逃げ道のないように仕組んで釣るのは本意ではないってことさ。もっとイワナやアマゴを手に入れたいのなら、腕を磨くことだ。もっと修行しな」
「なるほど。じゃあ、その女の子は、どこで口説けばいいのでしょうね。正々堂々と。参考までに聞かせてください」
「それなら、チョコレートパフェでも奢られながら、君のその濃すぎるくらい濃いフェロモンのかおりをたっぷり嗅がせてやれば、イチコロだろうよ」
「真っ向勝負ですか? それじゃ、店の子に聞かれてしまいますよぉ」
「なんだ、いくじなし! 床に落っことしたチョコレートパフェみたいな面しやがって」
「チョ、チョコレートパフェ・・・・・」
「しょせん、甘い、甘い!(だから、俺に負かされるのさ)」
 私は、彼の釣りの腕前の未熟さとツキのなさが招いた今日の敗北について、いま少し揶揄してやろうかとも思ったが、このへんで矛を収めることにした。
 それなのに、「甘いって、女の子に?」と、彼は話を蒸し返そうとする。
「ダメだ。やっぱり魚にバカにされる要素しか持ち合わせていない」
「よ、よくもそんなひどいことを・・・・・」
 彼が本気でしょげるので、私は声をあげて笑った。
 そして、若者をやりこめるのも愉快なものだ、そう心に思った。
 いっそう、辺りは暗さを増した。
 若者の運転する車のライトが、はっきり明るい。
 そのヘッドライトの光のなかに野ウサギが躍り出た。野ウサギはしばらくのあいだ私たちを先導するかのように車の前方を飛び跳ね、走った。
「こうして、野ウサギを見るのも久しぶりだな」と私は言った。
「よっ、バニーちゃん!」などと妙に囃したてながら、彼は野ウサギのあとについて車を走らせていく。
 何かに憑かれたような彼のその様子を、私は黙って助手席から眺めた。
 林道が右に急カーブをみせる少し手前まで来ると、ふと山側に折れて、野ウサギは木立の闇へと姿を消した。
 私は寛ごうとして、ほんの少し座席のシートを後方へと傾けた。

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こんな見落としそうな沢も奥は水量豊かだったりするので一応気に留めておこう

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しぶきのかかる岩場の陰に星型の小花をみつけた

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コンディションのいいイワナ、アマゴが多かった

2014年6月25日

女と竿

 竿選びは妥協しない。手にしっくりきて扱いやすく長く釣って疲れないというのがいい竿の条件だ。ほかに、外観も大事である。こう私が意見を述べると、「この調子じゃ女選びもうるさそうだな」と面白がっていう同好の士も少なからずいるが(若い頃はよく言われた)、女と竿を一緒にしたら、それは女に失礼だろう。竿にも個性があり良さがあるが、数あるなかから非の打ちどころない名作を探し出すには相当骨が折れる。また、非の打ちどころない竿でないと自分としては納得しないし満足できない。
 ならば、非の打ちどころない女はどうか。むろん、そんなのはつまらない。退屈するだけだ。どうにもそれでは魅力的だとはいえない。ただし、美人は三日も見たら飽きると何かの標語のように謳われても、やはり私は美人が好きだ。けれども、それだって、シミのひとつも認められぬまでに磨き上げられたスーパーモデルなんぞはまっぴらごめんである。
 竿はつんと澄ました美人でよいが、女は愛嬌があってどこかしらくだけた感のあるほうが安心できる。

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筆者愛用のトラウトロッドも8割方UFMウエダだ

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シーバスロッド、トラウトロッドはUFMウエダと決めている仲間が少なくない

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数々の大物を仕留めてきたUFMトラウトスティンガーボロン77Ti

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惜しまれつつ会社を畳んでしまったUFMウエダ。筆者も残念でならない

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グスタフ田所卿もUFMウエダのファンだ

2014年6月26日

シーバス用のルアーライン

 シーバスをミノーで釣る。これは、この釣りの王道である。ロッドは好みで選ぶとして、では、ラインはPEにするかナイロンにするか。
「おれはナイロンしか使わないぜ」「おれはPEだ」と吠えて、どちらか一方しか使わない頑固者も少なくないが、私は両方とも使っている。
 PEはナイロンのようには伸びないので、感度が抜群だからルアーにシーバスがじゃれつきはじめたなということも手元に伝わってくる感触からありありとわかる。
 だから、PEラインというのは、糸電話の糸のように、釣り師に情報を素早く伝達する。前アタリも明確に出る。
 しかし、ロッドとのバランスをよりシビアに考慮しないと、取り逃がしが多くなる。とくに、足元に近いところまで寄せて来てからシーバスが暴れると口からフックが外れやすくなる。結果、ルアーを振りとばされて逃げられてしまう。ほかにも、ルアーを投げるときやシーバスとやりあうとき、伸びのないラインだと手元に直接堪えるので、長時間釣りをすると筋肉疲労の度合いが増すともいえる。また、ロッドに加わる負荷も大きく、やや傷むのが早いかもしれない。
 ナイロンのばあいは、この逆だと考えればほぼ間違いないかと思う。ナイロンを使うと、何の前触れもなく、ドスン!というぐあいにシーバスが乗って来る。ようするに向こうアワセが増える。ルアーにシーバスが食いついてから初めてそれがわかる。その半面、扱いやすく、取り逃がしも少ないという良い特色をも持つ。ナイロンはPEとちがって風の影響を受けにくいことも利点の一つだ。強風時にはトラブルの少ないナイロンの方が扱いやすいといえるだろう。

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仲間内で多用されるライン、シルバースレッド・ショアゲームPEと
ソルトウォーターⅡ(ナイロン)

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シルバースレッド・ソルトウォーターPEの信頼度も絶大。強くて扱いやすい

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尾崎晴之もソルトウォーターPEの愛用者だ

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男爵は良型を連発させた

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筆者も本命をキャッチした

2014年6月28日

変わり者

 釣り具屋のおやじには取っ付きにくい人物が少なくない。凝った植物を商う人間にもそういう性格の灰汁の強い野郎が多い。辟易するし、正面向き合ってつき合うことはしたくないが、そうかといって、自分自身、釣りも植物も好きだから、完全無視することは出来かねる。文学好きにもうんざりするほど自己中心的な奴が多く、どんなに馴染んで楽しんでいるときもこの身勝手者たちに対する内なる猜疑心が霧散してしまうことは、ほぼないのが実情だ。
 思うのだが、似た者同士はうまくいくと世によく言うが、じつは似た者同士は衝突する、あるいは相容れぬ存在なのだということもでき、これは暗澹たる宿命、運命にあたるのかもしれない。
 これが当たっているならば、つまり私自身が曲者、変わり者だということになるが否定はしないでおこう。だから、似た者を鏡の自分を眺め見るように、自分にも相手にもうんざりしてしまう。
 べつにこのようなことを考えながら、ふだんから付き合っているわけではないが、ふり返って思うに、付き合うか付き合わないかは、おそらく、性根がまっすぐかどうかということに尽きるだろう。釣り師は人一倍法螺吹きが多いし、そのことは大目にみるとしても、やっぱり根っこのまっすぐな野郎が好ましい。
 釣りの世界は戦国合戦の世みたいなものだから、努力なくして集団としての結束を図ることは難しいというのが本当のところだろう。
 程度にもよるが、私は皮肉屋も愚痴り屋も嫌いではない。それが高じると男のばあい見苦しいが、たわいのない愚痴をいう女を私は可愛いと思う(おっと、またまた話の道が外れちまいそうだ。女の話はどけておこう)。
 要は、人の気持ちを茶化さないことだ。そのまっすぐさがあれば、じゅうぶん変わり者同士付き合っていける。
 自分で言うのもなんだが、いまの私は仲間に恵まれている。曲者揃い、変わり者揃いだが、しかし、いい奴らだ。
 その代表格が、釣りでは男爵(三木一正)、植物界では村上園芸の村上吉昭である。
 むろん、この二人だけではないが、それを代表させるに値する男らである。

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ニット帽をかぶってはいるが、これぞ髪在りし日の男爵だ!(2009.2.1)

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シーバス爆釣の予感ムンムンの暮れ方の海

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男爵はスキンヘッド以前からシーバスを釣らせたらピカイチだった

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シーバスはフライでも釣れる

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信頼性の高いPEライン『シルバースレッド・ソルトPE』なら磯でも強気で挑める

 Superflyの『Eyes On Me』という曲の歌詞が好きだ。曲そのものもいいが、越智志帆の歌詞が胸にぐっと来る。『愛をこめて花束を』も素敵だが、あれは共同作業の上に書かれた歌詞で、越智がどこまで書いたかがわかりにくい。越智はギンギンのロックだろうが娘らしいバラードだろうが、歌詞のことばが前向きで正直で一本筋が通っている。歌詞のなかに「まっすぐ」ということばがじつに効果的に生かされている。つまり、メロディーにうまく乗っかって耳に心地よいのだ。
 そんな、大好きなCDならTUTAYAで借りて聴くよりも買って聴く方がよい。また、越智志帆は、その姓からして隣県愛媛の出身だろう。そうなら、同じ四国の者として応援したい気持ちも強い。
 そこで、覚悟を決めて(おっさんが、この手のCDを持ってレジカウンターへ行くのには勇気が要るのだ)、ある日のこと売り場を訪れた。
 レジカウンターの前に立つと、私の娘でもおかしくない年頃の女の子が丁寧な接客態度で応じてくれた。
 しかし、私が、「これください」と言って差し出すと、女の子の態度が俄かに変った。露骨ではないが、ためらいが生まれ、それはちょっと小石につまずいて上体がほんのちょいと前にのめったかという程度の変化であった。しかし、彼女はその前のめった上体を持ち前の反射神経のよさで難なく立て直し、まるで何事もなかったかのような態度でレジを打ち始めた。とても感じのいい子だった。
 この2枚組のCDだが、今でもカーステレオで独りこっそり聴いている。

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聴くと元気でるぜ!

 私の身辺には変わり者曲者が多いと書いたが、戦国時代の曲者に宇喜多直家がいた。大河ドラマ『軍師官兵衛』で陣内孝則演じる岡山城主の直家がなんとも味わい深い。この稀代の曲者は腹の黒い悪党として名高いが、時代を睨むその目のはしっこさが非凡であったと思われる。豪胆さと狡さと内に秘めた神経のこまやかさとが相まって、どんなに苦境の時にもうまく立ちまわることで乱世を生き抜いて、見事、直家は畳の上で往生した。
 これほどの武将を余すところなく演じきった陣内孝則という俳優も、また、あるいは曲者であるに相違ない。
 あっ晴れじゃ!

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水野雅章。こいつもなかなかの曲者だぜ!(新潟港にて)

 フライを習いたいと言ってきた者があった。届いた葉書にそう記してあった。もう二十年も前になるだろうか。川でフライをやっている連中に釣り場で教わろうとしたが、一貫した考えを持っておらず、どれをどの程度参考にして学べばよいか苦慮しているとのことだった。
 葉書を出すくらいだから、そのやる気は本物であろう。とりあえずいらっしゃいとばかりに呼んでみた。集まりのなかで性根を見てやろうと思って加えたのだが、皆ともわりと早くに打ち解けた。
「俺は、つき合いにくいぜ」と最初に伝えたきり、それっきり数ヶ月間、ほかの者らと同じようには接しなかったので、何かにつけて居心地悪かったろう。
 だから、「どうだ。うちに加わる気はあるか?」と私が訊いたとき、おのずからほっとした表情をみせた。
 私は、釣りのことになると、なかなかどうして口うるさい。とくに渓流では瀬の轟に声が呑まれて、相手の耳に届きづらいせいもあって、ついつい大声になる。だから、私の物言いは、その結果として多くの新入りの者らを閉口させたし、追いこむことすら少なからずあったようだ。
 今は、かなり人間が丸くなったからそうでもないが、よくぞ残ってくれたと感謝したい。
 そのなかに、葉書をよこした尾崎晴之もいる。

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フライで吉野川を釣りくだる尾崎

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尾崎晴之はチヌ釣りもうまい

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