2015年1月16日〜4月23日
釣り師のたわごと
天野峠(さぬき市志度町)の登り口に料理店がある。男爵の幼馴染がやっている。そこへ、昼飯を食べに車で出かけた。マスターは東南アジアの料理が得意で、この日、男爵と私はタイ風焼き飯を注文した。
マスターはサーフィンとシーバスフィッシングがお好き!
コーヒーも種類が多い
筆者お気に入りのタイ風焼き飯
席には数人の客がいた。店はマスターが一人で切り盛りしているので客がいちどに料理を頼むと、たちまちのうちに猫の手も借りたいほどの忙しさとなる。だから、そんなときは常連客が配膳係を買って出たりもする。
テーブル席で料理が出てくるのを男爵と私は釣りの話をしながら待っていた。
この顔で食後にケーキなど食うから笑っちゃう
マスターも釣りが好きで、釣り好きの通例として、わりとせっかちである。
男爵が、どこそこで去年の今頃はいい思いをしたと懐かしがって言うと、「いかん、いかん、あの辺は、今年は全然ダメ」と前置いてから、そのよくない理由とやらを調理場から顔だけこちらにふり向けて早口でまくしたてた。
釣りはマスターのばあいシーバス一本槍だが、ほかにもサーフィンに目がない。いい波が立つと聞くと、どこまでだってサーフボードを愛車に積んで出かけていく。
「高知とかなら今でも気軽に出かけているよ。若いころみたいに遠征三昧とはいかないけどね」
遠征とは海外だろうか。おそらくそうだろう。
「仁淀川の河口付近も多いね、サーファー」と私は水を向けた。
「たしかに」とマスターは短く答えて頷いた。
でも、マスターのお気に入りの波乗り場は、そこよりも四万十川寄りの入野漁港付近の海岸だそうである。その入野の海で数年前、波を相手に遊んでいるとき、自分が乗った波と同じ波のそのなかをヒラスズキが悠然と泳いでいくのを見たことがある、そうマスターはやや興奮気味に語った。
サーフィンをやらない私には想像してみるほかないが、それというのは立ちあがる波のその潮のなかを、曲芸好きのヒラスズキが、「どうだい、兄ちゃん、なかなかやるだろ、俺さまも」と満更でもなさそうげに、泳ぎをひけらかしに寄って来たということだろうか。
もう少し詳しく聞いてみたい気もしたが、マスターは奥へ引っ込んだまま出てこなかった。
調理場からは食用油のはぜる音や調理器具の触れ合う音が聞こえていた。
出来あがった料理をカウンターまで取りに立った男爵がもどって来た。
「お待たせしました」と男爵は焼き飯を盛った皿を私の前に置いた。
「冗談はよせ」と私は吹き出しそうになるのを堪えて言った。
男爵は、それには答えず、珍しく品のある笑みを浮かべると、こんどは自分のぶんを取りにカウンターの方へともどっていった。
「だから、よせ。その俄かウエイターじみた振る舞い」と男爵の背中に向けて言った。
「・・・・・」
「可笑しくて、おっかなくて、ひひって、飯が喉につかえそうだ」
「な、なにを、そんな畳みかけるようにおっしゃいますやら。こんなに可愛い顔しとるのに」
「だ、誰がじゃ」
「誰がといわれましても」
男爵は自分の顔を自分で指さしながら、またあの人を落ち着かなくさせる品のいい笑みを頬のあたりにただよわせてみせた。
「お待たせしました」と男爵が注文の品を運んできた
テレビはサーフィンを映していた。むろん、テレビの番組ではなく、マスターお気に入りのDVDだ。ハワイの海か、それとも別の場所か、それはともかく国外であるのは確かだった。均整のとれた体格のいい金髪の青年が息を呑むような大きな波を相手にサーフボードを巧みにあやつり挑みかかっていく。半円を描きつつ立ちあがる波が持ち堪えられずに崩れ落ちてくる、まさにその少し先を、微塵の迷いさえみせずに、見事、駆け滑っていく迫力に目を奪われていると、「何度観ても惚れ惚れするな」とマスターが誰に言うともなくそう言った。
店のなかは東南アジアの露店の店先を彷彿とさせる感じに、雑貨や布物、アクセサリーが並んで(売り物とそうでないのがある)、明るい雰囲気だ。趣味のサーフボードとサイクリング用の自転車も体よく置かれていた。
ホットケーキとコーヒーがカウンター上に出てきたのを目で確認した男爵が、食べかけのタイ風焼き飯のスプーンを置いて、ふたたび立った。このあたり、男爵は、目がはしっこい。顔に似合わず、なかなか気が利くのである。
男爵が注文の品を運んであげたその客も常連らしく、「あ、どうも、どうも」なんて笑顔で応えた。
これから里山にでも散歩がてら登ろうかというような服装の、活発そうな初老の夫婦だった。
山歩きも悪くないな、と私は頭の隅っこで思った。
桜の春も、そう遠くない。
桜の春もそう遠くない
幼少期のテレビといえば白黒であった。カラーテレビが登場したのは小学生のときだったと記憶している。エイトマンや鉄人28号はモノクロだったが、ウルトラマンはカラーテレビの時代になってからはカラーで映った。
しかし、カラーテレビが発売されたとはいえ、田舎の町では主流はまだまだ白黒テレビであった。むろん、うちの近所の家も、わが家も、それは例外ではなかった。
一方、いつかも述べたように、私はからだが弱かったにもかかわらず外で遊ぶのが好きな子供で、暇さえあれば野原や川や池や雑木林へ出かけていた。
近所の友だちも、みな似たような屋外での遊びに夢中だった。要するにテレビゲームもない時代で、外を駆けまわるくらいしか楽しみがなかったわけだ。
女の子は、ままごと遊びに余念がなかった。ときどき、必要に応じて、私たち男の子は女の子のままごとに参加させられた。つまり、父親、兄、弟、奥さんの主人等を演じるべく俳優として呼ばれるのである。
おじいさん役には、近所に住む本物の爺さんに出演のオファーがかかることも珍しくなかった。
むろん、婆さんも、その例外ではなかった。
このままごと遊びは自分らよりも年長の、いわゆる「近所のおねえちゃんたち」の書いた台本に沿ってドラマが進行する。なぜかというと、「年上のおねえちゃんたち」が近所に少なくなかったからだ。要するに子供の多い時代だった。そして、今ほど都市化してはいなかったので原っぱがあり、小川が流れ、野池が水をたたえ、田畑も多く、雑木林のなかを幅の広い川らしい川が流れてもいた。
その川のほとりに夜になるとアズキアライという妖怪がでる。これは女の妖怪らしいが、男か女か不明だという大人もいた。頬かぶりをしているとのことだった。
川の水で洗っている小豆を、知らずに人が近づくと、そのアズキアライが狂気じみた奇声を発しながらめくらめっぽう投げつけてくる。こう聞くと、何だ、どうなってしまうのだい、と心配の声があがりそうだが、どうということはない。それだけのことで、あとはもうからかい半分笑い声をあげながら、ふり向きもせず逃げ足速く駆け去っていくだけである。
ほかにも、こんな話があった。
辻で、深夜、酔っ払いが用を足そうと電信柱に向かっていると、電信柱と思っていたのが、じつは高坊主という背高のっぽの巨大な一つ目妖怪だった。まあ、素面なら、「ありゃりゃ、電柱なんてあったかな、こんなところに」と大いに訝るところだが、そこはそれ、悲しいかな、酔っぱらいである。頭も良くまわらないし、チドリ足である。騙そうとする方にすればこれほど好都合な人物はいないだろう。しかし、騙される方はもう騙され損もいいところだ。
むろん、この妖怪も、さきほどのアズキアライ同様、ご想像どおり、例に漏れずワッと不心得者の酔っぱらいを脅かしつけた後は、ふざけた笑い声とともに夜の闇の奥へと走り去っていくというだけの、ちっとも害のないおちゃめな妖怪なのである。
凄みにかけるといえば言えなくもないが、讃岐の妖怪どもは、このようにユーモラスな奴が多い。良くも悪くもそのようである。
このように、私の子供のころは、魑魅魍魎、妖怪どもが、ちゃんと市民権を持って身近に存在した。今より妖怪どもが現実味を帯びて動きまわった時代であった。まさに、水木しげるの世界観である。妖怪も人間も、いっしょくたであった。
そして、そのころはまだ自然が身のめぐりに多く残ってもいた。アズキアライは護岸されていない雑木のなかを流れる川のほとりで夜毎小豆を洗っていたし、高坊主の出る例の場所は土がむき出しの三つ辻だった。護岸や舗装とはあまり縁のない田舎町だったのである。
加茂川の分流である谷川はひらけていて気分いい
流れに頭を出す石の前でアマゴがヒット!
飽きない程度には釣れたがサイズがイマイチだった
そんなだから台風が去ると、小川に沿う土の道の水たまりに雑魚が泳いでいたりする。まとまった雨が降ると雨水が行き場を失って、道を越えて田んぼに畑に流れ込む。そこには、フナやナマズやライギョや色のついた大きな鯉が泳いでいることもしばしばあった。
畑の道端には堆肥が積んであった。そのそばを通りがかると寒い日の朝など湯気が立っていることがある。堆肥は温かいのだ。その堆肥の熱が気温との差で湯気を立ちのぼらせる。それは、近づくと臭う。風向き次第では田畑を越えてわが家の玄関先まで臭ってきた。今なら住民がうるさく苦情をいうかもしれないが、それが田舎では常識のほか何でもなかった。その湯気の出る堆肥を竹の棒で突きまわしてみても、すぐに飽きてしまう。飽きると、また川や池や雑木林や野原へ駈けて行って、友だちと時の経つのも忘れて遊ぶ。ただもう夢中で遊ぶのである。
そんな、少年時代であった。
網を手入れする老夫婦
男爵はメバル釣りが大好きだ
男爵は面構えに似合わず繊細な釣りも得意
久々に出た20cm級。今期はメバルがよくない
雨の多い温暖な列島日本のことだから、手を抜いて怠けていると、すぐに雑草が土地を覆う。砂漠の民なら土地にぽっぽと草が生えただけでも大喜びするにちがいないが、日本ではそうはいかない。油断しているとモノの芽が吹く。草ばかりか樹の芽も吹く。放っておいては取り返しのつかぬことにもなりかねない。せっかくの土地が台無しである。だいいち、荒れ地と化しては地価の下落も著しい。
もし、町なかの自分が所有する空き地が雑草の原っぱに変貌すればどうなるか。近所の住民らが騒ぎ出し、たちまち役所に苦情を申し立てるかもしれない。その結果、「すぐに刈り取れ」との命令文書がその義務を負う住所の郵便受けに或る日突然届くはめにもなりかねない。何を隠そう、そいつが、管轄の役所から、うちに届いた。
その土地の草は、もし刈るすべがなければ、業者を雇って刈り取ってもらうほか方法がない。ためしにシルバー人材派遣センターに見積もりをしてもらったら、とんでもない金額になった。幸い、農業をやっている尾崎晴之が、「俺、刈ります」と快く引き受けてくれ、年に何回か様子を見ながらよいあんばいに刈ってくれているので費用の心配はないが、ちょっと気が引けないでもない。
業者に払う金額の半分でも三分の一でも受け取れというと、それは承知できないという。尾崎本人は、「こちらの好意ということでやらせてもらえるなら刈ります」と言うのである。
尾崎晴之。何を釣らせても上手なんだな、これが
じっさい、そうなってしまっている。
でも、少しこちらも心苦しいから、今日に至っては、この件には差し迫った事情が生じないかぎり触れないようになった。むろん、尾崎も触れては来ない。
それでも、その市街地の空き地のそばをあるとき通りがかると、少し草が伸びていることもあれば、またある日にはきれいさっぱり刈り取られていることもある。
しかし、ペースを考えて刈ってくれているのであろう、草ぼうぼうの荒れ地になっているようなことは決してない。
「尾崎よ。ありがとう」
私としては、本人のいないところで、そう礼を口にしてみるよりほかすべもない。
早春はスプーンで各層をじっくり探る
毎日のように雨の降る寒い春となった
アワコバイモが咲くと渓流が俄かに活気づく
小学三年生のときには、すでに自転車を漕いで、自宅から五キロ、十キロ離れた瀬戸の海辺まで釣りに出かけるようになっていた。このころでも、対戦相手は、まだ雑魚に等しい身近な魚ばかり。つまりは、ハゼやクジメ、ベラ、メゴチ、ウミタナゴなどであった。
それもそのはず、まだ竿は竹製の安物の三本継ぎで、河口の砂の浅瀬に半ズボンの足を立ち込ませて釣るか、さもなければ石積みの小波止に出かけてその周囲を探ったり、波止の石組みの穴に仕掛けを垂らしたりして釣るのだから、そうそう大した魚をものにできるはずがなかった。
これが、もう一年も経つと、木の枠にテグスをたっぷり巻いた仕掛けで釣るようになって、それだと手投げだとはいえ投げ釣り用の天秤オモリを扱えるので、ノベ竿とはくらべものにならないほど遠くへと投げ込むことができた。だから、初冬だとカレイやアイナメの良型を釣りあげることも夢ではなくなった。じっさい、四十数年も前の話だから、チョイ投げ程度の範囲でも、おもしろいように魚が釣れた。
リール竿を手にするまでにはもうあと数年の時を要したが、まったくもってよい時代に育ったものである。
ふり返ってみて、つくづくそう思う。
ラインはキャスライン磯投3号を使用
漁港の岸壁からのんびりチョイ投げを楽しむ
瀬戸内のマコガレイはすこぶる美味い
成人してからの話である。
夏の沢に十日もいて、山奥から地方都市のわが町に帰って来ると、少しのあいだ道を行き来する人間の姿が皮膚ごと透けて見えるように思ったものだ(今は、それほど家をあけるような、そんな暇はないが)。
が、しかし、それはなにも透明人間を見るのではない。
街に暮らす人間一般がそう見えるだけだ。半透明になってしまった現代人を目にするのである。
ところが、やがて私も自分の暮らす地方都市の生活に埋没して、いつもどおりに日々を送るようになると、私自身も一向透明のはずが、なぜだかそうはならずに、逆に市井のみなさまの方が透明から実態ある人間の体を成してきて、いきいきと日常をはぐくみはじめるのだから不思議である。実態の無きに等しいはずの現代人が実体化して動く。それで何の不自然も不都合も感じないのである。もう、こうなると私も立派な地方都市生活者の一員だというわけか。
渓流を見おろすように城が建つ雨の渓流を釣りあがる
瀬戸内のマコガレイはすこぶる美味い
雨あがりの午後。いかにも釣れそう
雨がやんでからこのサイズが連発
そして、そういうふうに平々凡々な日々を送っているうち、だんだんと俄かに、またしてもそういう暮らしぶりに自分自身、嫌気がさしはじめるというのがいつものことであった。
このような感覚が強く私を脅迫しはじめると、また居ても立てもいられず、山へイワナを釣りに行きたくなったものだ。若かっただけ、今よりずっと行動的だった。
そんなわけで、そろそろ、いや、もう無性に山へ釣りに行きたくなる。
そういうことが確かにあった。
そして今でも、気持ちがむしゃくしゃすると、若いころ同様に、山の沢が恋しくなる。夏なら山岳の沢へ出かけてイワナを釣って遊びたい。アマゴもいいが、やっぱり夏はイワナだ。
いやはや。この歳になってもまだそんなふうである。
釣りバカにつける薬なし!
どうも、そういうことのようである。
アマゴは渓の宝石だ
シーズン初期はスプーを多用する
水辺の石に休むカゲロウ
攻めの釣りといっても、本人がやっているつもりというだけで、思い込みに過ぎないのかもしれない。釣りは、あんばいをきくことの連続である。つまりは、たえず対戦相手のご機嫌を窺いながら、どう対処すれば食いつくか、その対応に追われる。
いつでも、手を変え、品を変えして、その都度相手の出方をみて、それでも芳しくないようなら、ほかの手をくり出すべく図る。その一手一手は、これまでの経験からまちがいないと睨んだ末にくりだす自信の策である。
しかし、そういつも経験知が魚を得る力添えになるとはかぎらない。
たとえ首尾よく魚に口を遣わせることが出来ても、その土壇場でおなじみの女神が立ち現れて、ころりと負かされてしまうことは普通に起こる。幸運の女神は、あるときには福の大盤振る舞いをする一方、また別の場面では気まぐれからそれを頑として許さない性質をも併せ持つ。
つまりは、犬にする、あの「おあずけ」のようなものである。
めっぽう女神は気分屋なのである。
流れを広く探るミキカツさん
大きな流れには大きな鱒が棲むというが…
だから、女神はあなどれない。運ほど恐ろしいものはない。
努力で得た経験知は半分の力しか持たない。
ときに、その虎の子の経験知を運が容赦なく食い散らす。丸呑みにする。
まこと、「運」とは非情なものだ。
けっして、敵にはまわしたくないものである。
スプーンは10g前後を多用
遠投するのでロッドは8フィートを使用
淵の流れを横から釣る
奥の流れ込みを釣るミキカツさん
銀ピカの本流アマゴに思わず頬が緩む
釣り好きの大学生が遊びに来て、「老荘と釣りは馴染みいいですね」という意味のことを私に言った。
たぶん、厭世的なところが両者に共通すると述べたいのであろう。いまどき、こういうことを日常会話で口にする若者が身近にいるとは思わなかったので、なんだか新鮮でもあり可笑しくもあった。
それにしても、堂の入り様において、中国老荘の思想家といまどきの釣り師では大人と子供ほどもひらきがあるように思う。要するに、あっちは本格的なアウトローであり、こっちは気が向いたときだけその真似をして楽しんでいる「真似事師」にすぎないのだから。
こっちは、つまり浮世暮らしを全面否定しているわけではなく、むしろちょぴりだ。それに比較して、あちらはこっちの世界とはかかわりなんか金輪際持ってやらないぜ!と腹で決め込んでいる節が多いに窺われる。そのようなふてぶてしさを野太さをぷんぷん臭わせている。痩せ我慢的なところがなくもないにしても、まあ、あちらは本気である。
ラインはアジ用の試作品0.2号。扱いやすく、強い
冬のバス釣りは陽のあたる小さめの池がよい
付近は土筆が多い
「このところストレスがたまっちゃって、それで無性に釣りに行きたくなりましてね」
現代人の誰かがこう語ったとしても、これをもって即座に釣りと厭世とを結びつけることは乱暴だろうし、誰もそうは受け取らないだろう。
所詮、私たち釣り師は例外なく偽アウトローであり、開放感を得る楽しみから、あるいは憂さ晴らしのために自然界へと浸透していくのが関の山である。
どうも、そういうことらしい。
世俗からの束の間の遊離を試みる釣りは、あるいは茶の湯の道と相通じるところがあるのかもわからない。
こういうことを書くと、「利休とおまえら釣り師は同等に凄いのだぜ、とでもいうつもりか。見当ちがいも甚だしい! とんでもない思いあがりだ!」と叱られそうだが、それなら利休と、あの『釣魚大全』を書いた大貴族で釣り師のアイザック・ウォルトンならどうだろう。それでもまだ釣り合わないというだろうか。
なんだか、私には釣りも茶の湯の道も、ほんの出来心にすぎないように思われる。
たとえば船外遊泳をやってみせる宇宙飛行士よろしく、もしもの時に備えて釣り師も茶人も命綱だけは忘れずにつけている。決して行ったきりにはならない。どれだけ入れ込もうとも心の遊びであり、釣りにかぎって申し述べるならば、それは本職の漁師をめざしての修行でもなんでもない。
その意味では、やはり、釣りは茶の湯と似た「遊戯の精神」の上に立脚しているともみえる。
遊戯は、「ゆげ」と読む。俗世間から束の間の暇乞いをして、心自在に遊ばせる。と、いうほどの意味であろうか。
いい流れを前にすると気が引き締まる
さっそく昔アマゴをキャッチ
雪代の流入で水温は低め
昔アマゴはどことなく両生類っぽい
でも、だからこそ、余計に約束事は守られなくてはならない。それを、あらわす言葉が、「作法どおりにいたすがよかろう」であろう。
茶の湯に招かれた武将が茶の湯の師匠に問う場面がある。戦国時代を描いた小説のなかの話である(私の憶えちがいで、武将ではなく、殿様だったかもしれないし、殿様の子息か、どこかの藩の高名な家老だったかもしれない。ちがっていたらごめんなさい)。
とにかく、その者が、師匠に、「なぜ作法どおりにせねばならぬというのか。しょせんは遊戯ではないか」という趣旨のことを問う場面がある。
この言い草には、こっちは命を張って戦国武家の社会の一員として日々しのぎを削って働いている。かたや、茶の湯、茶の道などと立派なことを申しても所詮は風流に遊ぶにすぎぬではないか、との皮肉が込められてもいよう。
それに答えて、「その、遊戯だからこそ、作法どおりにせよ。しがらみの世間を束の間たりとも離れ、自由になるとはそういうことだ」ふうなことを言って、師匠は相手を黙らせる。
それこそ、意味ある作法である。生きた約束事である。だから、「そのとおりにせよ」という。
解き放たれるためには、そういう「無形の型」の力が要る。型とはtoolであり、このばあいtoolとは作法に帰す。そのような場面設定であったと記憶する。
ちなみに、アイザック・ウォルトンの時代のフライフィッシングというと、今の道具とはその立て方が大きくちがっており、糸は普通の釣り糸でテーパーなどかかってはいなかった。だから毛鈎をふり込むには、長い竿をしならせる、あるいは風任せにしたのである。芸がないといえばその通りだが、のんびりした気分でやれて、ストレス解消にも一役買って、それこそ「遊戯」の真髄のように思えなくもない。
ウォルトンは、送り出した戦場で、子息の多くを亡くしている。
そのことを考え合わせながら歴史を辿ってみると、『釣魚大全』が戦乱の時代ほど熱心に読まれたという事実に対しての興味がよりいっそう増す。
ウォルトンにはウォルトンの書かねばならぬ理由があったし、読む方にも読まずにはすまされぬ人生の事情があった。
そして、世界は相も変わらずきな臭いにおいをさせている。ウォルトン没後数百年。ウォルトンの時代とちっとも変り映えしない。
そのことを考えると、今後も、『釣魚大全』は読み継がれていくだろう。
幸か不幸か、そいつはべつにして。
こんどはミノーにヒット!
昔アマゴは山岳の沢に多い
尻鰭がオイカワの雄のように長い
山林を抜けて、さらに上流へ
これはフライフィッシングにかぎったことではないが、ブームになると誰もがそれに熱中する。しかし、やりつづける人はそう多くはなく、フライフィッシングのばあい仕掛けを思うように扱えるようになるには相当な修練の努力が必要なので、上達しないままやめてしまう人が少なくないようだ。とうぜん、ブームが去れば道具はお蔵入りしてそれきりになる。
ところが、近年は都心近郊に管理釣り場がたくさん出来て、その人気が定着しつつある。管理釣り場の鱒なら、どうにかこうにか数尾程度なら誰にでも釣ることができる。その手軽さがいいらしい。
「大人の遊びというのは、そうたやすくゴールに行きつけるようには仕組まれていない。だからこそ、おもしろい」
このように述べたのは現代のフライフィッシング界の第一人者である沢田賢一郎だが、じっさい自然の河川に棲む鱒をフライで釣るのは管理釣り場ほどたやすくない。
それに加えてルールをうるさく言う人もある。
むろん、ルールに意固地になりすぎてはつまらないが、なんでもありの釣果至上主義というのも身も蓋もない話である。
だから、きちんと手続きを踏んで、ルールを守って、とびきりの魚を手に入れたなら、これまた作法どおりにコン棒を取り出して、魚の頭めがけてふりおろす。英国紳士は川で大きな鮭を釣りあげると、この棒で頭に一撃を加えてとどめをさす。
うっすらと雪の残る嶺を望む
残雪に春の陽が射す
峠越えの林道脇に見る氷柱
山あいに見つけた小さな流れ。魚がいるかは不明
アマゴを手に受ける。胸がときめく
第一投目に悪くないサイズのアマゴが出た
どのアマゴもよく肥えていた
野性味あふれる風貌のアマゴ
食べる分は氷でギンギンに冷やして持ち帰る
日本人の私は渓流でイワナやアマゴを釣るのが関の山だから、この鮭を黙らせるほどの力を持つコン棒などさらさら必要はないが、さて、そのイワナ、アマゴを用命次第で持ち帰る必要が生じたばあいは、ナイフの刃を入れて腹を裂き、内臓を取り去ってから沢の水でよく洗い、氷たっぷりのクーラーボックスに入れて、そのまま持ち帰る。
三月の解禁以降、もう何回か渓流釣りに出かけ、釣ったアマゴを持ち帰った。
しかし、残念なことに、まだ一尾も口にしてはいない。何の因果か食べさせてばかりいる。なんだか、まるで猫を飼っているようなものだ。
こんど釣って帰ったら、そのうちの何尾かは塩焼きにしてもらって美味しくいただこうと思っている。
なんといってもアマゴの塩焼きは美味しい。想像するだけで涎が出そうである。
よく肥えたイワナが釣れた
いいアマゴが出た
フライフィッシングの世界に流布する有名な言葉の一つに、「同じ表情の流れは二度とやって来ない」というのがある。
これは、おそらく昔からフライフィッシングの盛んであった英国スコットランド辺りで生まれた名言かと察せられるが、川の流れを読むことが重要視されるジャンルの釣りを嗜む者の鋭くも詩的な表現だといえるだろう。
そして、この名言に触れるたび、『方丈記』の冒頭に置かれた、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」を私は思い出す。こちらは、この世の無常を河の流れに喩えた名言であり、だからこそ、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし」と著者の鴨長明(かものちょうめい。ながあきら、と読むという説もある)は筆を継ぐ。
アマゴがヒット。強い引きを見せた
足元まで追って来て食いついた
視認性抜群のアランチャ4lbで流れの筋をトレースしてキャッチ!
晴れて暖かかったせいかカゲロウの羽化が盛んだった
まあ、それはそれとして、あきらかに前者は技量に長けた釣り師の洞察であり、だから同じ仕掛けの扱いに見えても毎回釣り方は微妙に異なる。同じ流れがやってこないのなら同じ釣り方はないのであり、その微妙さをよくわきまえた釣り師こそが名実ともに名人であると謳っているのである。
むろん、後者は釣りの話ではない。ゆく河の流れとは時間の流れであり、後もどりできない、取り返しのつかない人生においての無常観である。
「人生一回きり、やり直しは利かないぜ!」というわけである。
筆者愛用のトラウトライン
よく降る雨に小さな流れも勢いづく
良型のイワナが釣れた。ラインはアランチャ4lb
活きのいいアマゴが釣れ
気温の話である。
海辺の10℃よりも、山のなかの10℃のほうが、暖かく感じる。
むろん、森林限界を超えた山岳の頂上付近の話ではなくて、山林のなかということだが、春先の渓流へ釣りに出かけた経験のある人なら似たような感想を持つのではないだろうか。
森林に詳しい書物を読めば科学的な意味合いからも答えらしいものが導き出せるかもしれないが、「なぜでしょう?」と問われたときには、「森が呼吸しているからだ」と私は答えることに決めている。本当かどうかは自分にもわからない。私はその道の学者でも学者をめざす者でもないし、ましてや理論よりも感覚でものを言うタイプの人間なので、いつもそれで済ませている。
そういえば、山奥の住民で、まだ寒い季節にもかかわらず、ダウンジャケットを着て歩いている人を見かけないのは、実際の気温よりも体感的に暖かく感じている証拠ではなかろうか。
ミノーにヒットしたアマゴ
奥山は春が遅い。いまだ冬木のまま
霧に煙る土器川沿いの集落
春にはなったが、このところ天候が不穏で、肌寒い日がつづいている。アマゴも釣れ出してはいるが、釣果の安定を見ないというのが現実である。
渓流本番の太鼓判を捺せるまでには、まだ少し時間が必要なのかもしれない。
どんなルアーやラインで勝負にでるかは水況次第。
先日、晩ご飯の食卓に載せる必要からアマゴを釣りに出かけた。純粋に食材を求めての釣りだから大物も数も必要ない。ただ、手堅く要る分だけ獲物を得られたらいいわけで、そういう釣り場を何カ所かピックアップしながら準備をしていた。
ところが出かける段になって、近所に人手の要る用が出来て借り出されてしまった。そのせいで、朝早くのはずが、朝遅くの出発となった。
当然、行き帰りと、釣りに費やす時間、これらを計算に入れて釣り場を選び直さなくてはならなくなったのはいうまでもない。このため計画していた第一候補と第二候補は断念せざるを得なくなった。
仕方なく第三候補の貞光川の中流部の支流へと足を運ぶことにしたが、その川筋に沿う林道を奥へ進んでいくうち赤い小型乗用車に追いついた。私も飛ばす方ではないが、それにも増してのろのろ運転だったから追いついたのだ。気づいた運転手が車を停車して降りて来た。観光名所の祖谷のかずら橋へ行く途中だが、どうも道に迷ってしまったらしいとのことだった。
「そんなバカな」と私は思った。
近畿圏のナンバーの車で観光客なら土地勘はゼロだろう。そんな若い男女のカップルが人知れぬこのような林道に迷い込むわけがない。そもそも迷い込む方が難しい。第一、カーナビが嘘を教えるはずはないのである。
面倒だから、迷ったいきさつを訊ねはしなかったが、方角違いもはなはだしい。しかたないから、べつの林道を峠越えして、祖谷川に沿う本線道路まで誘導してあげた。曲がりくねった細道を二十キロばかり登りくだっていくことになるが、慎重さを欠かぬかぎりは素人運転でも危険も少なくて、まるで魔法でも使ったかと疑われるほど近道である。当然ながらカップルには私が神様仏様に見えただろう。
それにしても、その神様仏様の当人である私は、目当ての釣り場へ行きそびれてしまったわけだからたまったものではない。
いいサイズのイワナが釣れた
剣山系は林業が盛ん
山は花に彩られ、まさに春
若葉がみずみずしい
嶺の高みには雪が残っていた
けれども、人助けはしておくものだ。まさに、情けは人のためならず、である。それはめぐりめぐっていつか自分の身に返ってくる。たしかにそう諺にもある。が、しかし、これほど早くわが身にもどってこようとは私自身夢にも思ってはいなかった。
「あの辺は、今年はさっぱりだよ。まるで釣れない」
そのような悪い評判しか釣り仲間から聞かれなかった沢へ、行きがかり上しょうがなくルアーの道具を持って入った私に、なんと、あの気まぐれな女神が微笑んだのである。
入釣して間もなく、よく肥えたアマゴが釣れ、型のよいイワナが私のあやつるミノーに食いついた。その後もいい感じに事が運んだ。
夕方にはまだ少し余裕のある時間に竿を納めて車へもどり、帰宅の途に就いたが、きっちりいい仕事ができた。
食材確保成功である。
時間があればイブニングのゴールデンタイムにもっと数を稼げたにちがいないが、
「釣れない、釣れないって、おまえらどこをどう釣ったっていうのだい。まさか、その目は節穴ってわけでもあるまい」と大いに同好の士に帰ってから手柄話を吹いて聞かせることも出来たのだから、これ以上の贅沢をいうと罰が当たるだろう。
つまるところ女神が善行の褒美として私に与えた、いわゆる気持ちの倍返しである。
おかげさまで忘れ難い一日となった。
ミノーを多用した
幅の広い肥えたアマゴがミノーにヒット
イワナもアマゴも型がよかった
花といえば桜。いい季節になった
「俺自身の死は、俺自身関係ないから」と私は答えた。
私たちは、春の渓流を釣りあがっていた。
「・・・・・」
「だって、死んだらもう俺はいないわけだし、わかるはずがない」
この平和なご時世の現在、せいぜい死人とかかわりを持つのは、肉親、親戚、友人、知人の葬式のときくらいだろう。あとは事故のとき、そして、滅多にない大きな天災に見舞われたときなどはこの限りではないが、まあ、赤の他人の死に遭うことは少ない。滅多にない。しかも、そういうときにも、死というよりは死体を目にするだけだ。
その当の死体は自分の死を実況中継してはくれない。だから、死んだらどうなるのか不明のままである。
池の土手を山林側にまわりこんだら落ち葉の溜まる雑木林の縁に狸が死んでいた。どこにも怪我の痕や毛なみに汚れのない綺麗な死骸で、まるで眠っているように見えた。それで、話が死へと及んだわけだが、そんなわからないことを考えるよりも、どうしたらブラックバスが釣れるか。こっちの方が、いまは問題だ。
「なあに、心配ないさ。みんなそのうち死ぬ」と私は頭のなかの私の考えとはべつのことを口にした。
「そのうち・・・・・」と若者は復唱した。
「まっ、若いおまえさんのことだ、永遠に生きられると思っているのにちがいないが、死に除外例はない」
「・・・・・」
「でもまあ、そう気にするな。死んだあとのことは残った者にお任せするさ。あとは万事よろしく! それでも何の問題もありゃせんよ」
この手の話は、「そっちこそ、どう考えている?」なんてうっかり水を向けようものなら長くなりかねない。議論の吹っかけ合いに発展したりすることも杞憂される。あんがい身のまわりに孟子よろしく口から生まれてきたような論派が少なくないので注意が必要だ。
「それより、釣ろうぜ」と私は言った。
「坊主じゃ帰れないですからね」と若者が答えた。
「坊主は男爵だ」と私。
「よ、よくもまあ、そんな恐ろしいことを」
「あの禿げ頭。生卵で磨けば、さらにピカピカ度が増すかも」
「さらに?」
「そう。さらに」
「もうじゅうぶん光っているかと」
「あ、そんなこと言って、おまえ。言いつけてやる」
「や、や、やめてくださいよ・・・・・」
アハハ~
バカばっかり!
バイブレーション投げて引くもアタリすらなし
大好きなダイワ・ピーナッツをセットする。さて、釣れるかな
調子に乗って掘り過ぎた筍。今が旬だ
田所さん所有の山の竹藪で筍を掘って皆に配りまくったあと、午後から二時間ほど野池に若者を誘ってブラックバスを狙いに行った。天気も申しぶんなかったので、気持ちよく始めたまではよかったが、さっぱりダメである。道具やルアーをいろいろ貰ったので、物資の点はなんら心配ないが、いまもってタックルの扱いがぎこちない。早く慣れなくてはと思うのだが、歳をとると体がなかなかおぼえない。
お気に入りのタックル
トップウォータープラグは、その泳ぎを見るだけでも楽しい
それでも、ベイトタックルはフライタックルを扱うときと同じように楽しいから近場の野池や川などにちょいちょい一人でも出かけていく。むろん、釣れるに越したことはないが、そのばあいも仕掛けを投げることが楽しいのだ。さきにも述べたように、まだまだ上手だと胸を張れる腕前にはないが、努力の甲斐あってバックラッシュは滅多にしなくなった。
とはいえ、まだまだこの歳にして、若葉マークである。
けっきょく、腕利きの若者にサポートしてもらったにもかかわらず、この日はアタリすらなかった。
そろそろ流れ込み付近の浅場にあがって来るとのことだが、この日、ブラックバスを目にすることは、ついになかった。
渓流でも、今年は春の訪れがやや遅めである。野池も似たようなものかもしれない。
【今回の使用タックル、ライン】
トラウトタックル、ライン
ロッド : ウエダ STS-501MN-Si
リール : ダイワ ニューイグジスト2004
ライン : ユニチカ シルバースレッド トラウトクリアー4lb
ロッド : シマノ カーディフ エクスリードHKS59UL/F
リール : シマノ ツインパワーC2000HGS
ライン : ユニチカ シルバースレッドアランチャ4lb
バスタックル、ライン
ロッド : メガバス トマホークF3-63GT3 DEIMOS
リール : シマノ スコーピオンメタニュームXT
ライン : ユニチカ シルバースレッドSAR 10lb