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釣行記

釣行レポート

2018年12月15日〜2019年4月11日

釣行雑記(2)

ダウン タウン ブルース

 ダウン タウン ブルース 暗い目をして
 ダウン タウン ブルース 裏町のバーガ イン
 捨てられちまった仔猫のようにうずくまってまるで孤児

 俺は俺で三回戦ボーイ うだつの上がらない三流ボクサー
 ダウン タウン ブルース ねえ聞かせてよ
 ダウン タウン ブルース 心のブルー ブルース
 ダウン タウン ブルース 酔うほど歌って
 ダウン タウン ブルース もう一杯なんて
 乾杯グラスに浮き沈む 孤独な暮らしに褪せた夢

 どうせあんたも風に吹かれ 新聞紙みたいにビルの谷間
 ダウン タウン ブルース ひらひら踊る
 ダウン タウン ブルース 嘆きのブルー ブルース

 ダウン タウン ブルース
 ダウン タウン ブルース
 ・・・・・
 ・・・・・

 この歌詞の「三回戦ボーイ」が、じつは誤りで、四回戦ボーイが正しいのだという。
 ほんとうかなと疑ったが、べつに調べもしなかった。だから、今もどうだか知らない。
 一年余り前のことだ。
 ライブの曲選びをしていて、この曲をやろうという話になって、それで私のところに若いバンドのリーダーから連絡があった。
「・・・・・四回戦ボーイが正しいらしいのですが、歌詞を変えて歌いましょうか」とバンドの若者が訊いて来た。
 そんなことどっちでもいいが、この曲なつかしいなと思った。すると、何十年も前の記憶がつい昨日のことのように甦って来た。
 高知のバンドから、「ライブ用に十個ばかり歌詞書いてよ」と依頼されたなかの一作品なのだが、歌詞が直接的で重い感じなのでアップテンポの乗りやすい曲に仕上げるよう私としては珍しく注文をつけた。
 このライブを私は客席で観たが半分ほどは私が歌詞を書いた新曲だった。
 会場は高知の文化会館だった。たしかオレンジホール、グリーンホールという二つの会場があって、当時から高知といえばロックが盛んだったこともあって広い会場が熱気に包まれた。あの会場は今も当時のままだろうか。それとも取り壊されて新しくなったろうか。移転してしまったろうか。
 この曲は歌詞こそ長くないが、曲は相当長い。と、いうよりも、二番の歌詞の終わりから最後のダウン タウン ブルースというリフレインに移るまでの間で壮絶なアドリブ合戦がとめどなくくりひろげられてなかなか終わりが来ない。こうなるとドラムがとくに大変だった。なにしろ小柄で病み上がりの最年長と来ている。曲の終わりころには息があがってしまっていた。気を利かせたボーカルが得意のMCで時間稼ぎをして次の曲が始まるまでに体制の立て直しを図った。どうにかドラマーは息を整えることができて事なきを得た。
 作曲担当は小橋という男で、曲作りの段階から細部まで擦り合わせをじゅうぶんにおこなってきた仲だった。
「まるで孤児、は?」と小橋がどう読むかを訊いた。
「もちろん、みなしご」と私は答えた。
「みなしご、ね」
「そう」
 そんなところまで当時よくよく煮詰めたはずが、三回戦だか四回戦だかには誰も気がつかなかった。その後も、誰からも指摘があったことはない。
 私は、今度のライブでこの曲をやりたいというヤングに言った。
「ずいぶん前の曲だけど、ほんとうにやるの?」
「はい。ノリがいいし、いい曲だと思います」
 曲は俺じゃねえぞ、と噛みつきたいところだったが、いい歳をしてバカバカしいので声を呑んだ。
 その後、三回戦四回戦がどうなったかを私は知らない。
 
ただ、ちょうどそのころ、つまり一年余り前ということだが、ワームで根魚を狙っていて偶然サイズのよいカレイが食いついた日のことを思い出した。アジまで釣れた。不思議なことに根魚は釣れなかった。
 徳島市内に用があって、その帰りだったと記憶している。
 引田辺りでは今年もカレイが悪くないと聞く。それなら私も行きたいと思うが、片づけなくてはならぬ仕事が山積して、宵の口にメバリングをやりに近場へと出かけるのが精いっぱいである。

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いかにも根魚が釣れそうだったがバイトなし!

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ヒットしたが釣りのがしてしまった。根魚かはわからない

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アジは波止の先端。潮に乗せて仕掛けを送っているとアタリが来た

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嬉しい誤算とはこのこと。カレイが釣れた

  そう。
 現実は甘くない。
 仕方のないことだが、そういう境遇に今はある。



プライベイト

 釣り具屋で行き合ったお客さんから、「最近、シーバスはどうですか?」と問いかけられた。初対面の人だが、向こうはこちらを知っていて、気さくに話しかけてきた。春前だったので、メバリングにはよく出かけていたが、シーバスは年明けから一回か二回しか行ってなかったので、仲間から得ていた情報で参考になりそうなのを見つくろって提供したが、その人は感謝の言葉を述べたあと、もっとシーバスのレポートも書いてほしいと訴えた。まさに訴えかける風だった。言葉に熱がこもっていた。そのとき、私は曖昧な返事しかできなかったが、2018年はシーバスについて書かないつもりでいたので、ちょっとこの人に対して申し訳なく思った。
 ちなみに、2018年は五十本くらいシーバスを釣りあげている。一年が終わってみるとけっこう釣ったなあという感想である。
 新年の抱負では、シーズンになったらルアーでチヌを狙って、それをレポートに書こうと決めたので、晩春から熱心に通ったが、チヌよりもシーバスの方が数多く釣れたことも何度かあった。前述のようにチヌが忙しくて初夏からのショアジギングもボートからのルアーフィッシングにもほとんど通わなかったので青物サワラはレポートにあげるだけの実績を残さなかったが、何度か出かけて、そのときにもシーバスを釣りあげた。

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ナイトチニングにシーバスはつきもの

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高松市G地区でサワラと青物を狙ったがこいつしか釣れなかった

 晩秋からはメバルに通いはじめたが、シーバスが食いつくことが少なくなかった。例年ほどではないがシーバスを狙って釣りに出かけたことも勿論あって、それなりに結果を見た。それらを合わせると五十本くらいにはなるだろう。
 プライベイトな釣りだから写真もほとんど撮らなかった。最近も撮影していない。
 チニング時に釣れたシーバスを数枚くらい撮影したことはあるが、いちいち公表はして来なかったし、サイズにかかわらず外道としてヒットしたシーバスの多くはランディング後すぐに海へとお帰りいただいたので、命拾いしたシーバスたちからは決して恨まれる心配はないものと勝手に安心してもいる。
 それでも、たまには泳ぎながら、「ちくしょう! あんときゃァ偶然うまく鈎がはずれて命拾いしたが、あのジジイ、まったくひどい野郎だぜ」なんて苦い思い出に浸るシーバスがいないともかぎらない。
 それはそれでかまわないが、こちらとしては、「こっちこそ手加減してやったのに、何を抜かす!」と悪態をつくだけのことだ。
 ただそのような経緯はきれいさっぱり忘れてしまってほしい。筆者に釣られたことさえ思い出さずにいてくれたら問題はない。そして、さらに大きくなって何年後かに仕掛けに食いついて、筆者を大いに喜ばせてほしい。

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雨のあと河川が濁ると朝晩関係なくシーバスが釣れる

 だが、シーバスよ、用心するがいい。いつのときも気前よくリリースしてもらえると思ったら大間違いだぞ!
 また釣って、今度は〆て持ち帰り、食べてやるから覚悟しておけ。
「無い首を洗って待って居れ!」(笑)
 筆者としては、そんなあくどいことを考えている。
 南無阿弥陀仏。
 合掌。



情報

 誘われて出席した会で討論を聞いているとき、やたら封建社会という言葉を連発する人が居ていらついた。
 封建社会などという言い方は、「新年明けましておめでとうございます」というのと私のなかでは一緒である。新年なら年が明けたわけだから明けましてとわざわざ重ねて言わなくても「新年おめでとう」でいいではないか。言葉の無駄遣いだ。私はこの意見の賛成派なので、封建に社会をくっつけるなと文句をいう。封建制こそが社会である。ちがうとの反論があっても、実際そうなっている。あなたが勤め人なら腑に落ちるにちがいない。そうではないか。人間、社会に揉まれて生きていれば、そう自然に思うだろう。他人がどう考えようとかまわないが、封建制は社会の素地である。
 それを前提に考えてみるに、世のなかには天下を治めたがる性格とそうでない性格の人がいる。これまたたいしたことではなくて、他人が何をめざそうと私の知ったことではないので、どういう人間でも気に入れば付き合うし気に入らなければ付き合わないというほかはない。それでは世間は渡れないというなら、社会人として、まぁ、付き合わざるを得ない事情の人とは少しくらい馬が合わなくても仕方ないなりにうわべだけ、かたちだけの付き合いくらいはする。
 それでも、やっぱり気にくわない奴は気にくわないし、そういう気にくわない野郎は誰にだって一人や二人はいるだろう。
 戦国時代は盗ったもん勝ちで、だから封建制とは言わないという意見を述べる人も少なくないが、ほんとうかなと私など首をかしげてしまう。主従があって土地(地盤)への執着が強い社会はじゅうぶん封建的ではないか。
 そして、封建社会が十割封建なら、贔屓目に見ても民主社会は七割方封建だ。

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渓流に春が来た!

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若葉の春にはまだ少し間がある

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キャパは大きいに越したことはないが多くの餌釣り師が攻めるので一筋縄ではいかない

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小場所も日当り次第で活気づく

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早春いえど流れはまだ冬。食いが渋かった

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奥行きのあるプールの深みから追って来てスプーンを捕えた

 権力志向が弱く筆者自身は好き勝手やっている派だと自覚しているが、それにしても実社会のなかで生きているかぎりは、完全無欠の自由人への憧れは半ば捨てなくてはやっていけぬとあきらめてもいる。多くのことに駆け引きは必要だ。
 しかし、そんな心配はわざわざしなくてよいのであって、長く人間をやっていると、誰しも段々ずるくなるようだ。あなたはどうだかしらないが。(笑)
 釣りひとつを取ってもそうである。
 釣りは魚とのかけひきであると同時に人とのかけひきでもある。同好の士とのかけひき抜きには語れない。
 だから、ある意味、釣りの世界もドロドロしていると言わざるを得ない。
 小狡ぃ。
 わりとドロドロしているのではないか。
 そう思う。

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使用した新エステルライン

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ルアーはミノーを多用した

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高所の4月は冬の風情。これも事前に情報を得ていたこと

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流れ込みの肩でアマゴがヒット。情報どおり活性が高い

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大型は顔を見せなかったが綺麗なイワナがそこそこ釣れた

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イワナとアマゴが連発。春本番を予感させた

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白井峠からの眺望は抜群

 また、人の世は情報戦である。
 情報は集め方、扱い方が大事である。
 養老孟司も言っている。情報そのものはピンで板に止められた昆虫みたいなもので動きがない。扱う側はこの世に生きているので無常である。刻々変化していく。なので、得た情報が偽りでないとしても為になるかならないかは得た情報を使おうとする人のその時々の扱い方次第である。
 そして、入手のし方と扱い方はセットである。どちらが二級でも有益な情報とはなり得ない。
 つまり、情報通とは言われない。
 そして、情報通というのはまちがいなく、ずるい。
 ときに情報は釣果を大きく左右する。情報通な釣り師は、例に漏れずこの野郎どももまたずるい。
 濡れ衣だと抗議する人がいるかもしれないが、釣り上手な人は、まちがいなくこの小狡いタイプの人間だ。

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春の解禁に備えて里山を歩く。足腰が資本だ

 すなわち狡猾と釣り名人はイコールである。
 反論は認めない!(笑)



庵治の浜にて

 若い者はすぐいちゃつく癖に他人がいちゃついていると気にくわぬらしい。ちぇっと舌打ちしたりしてやっかみ半分だ。
「いいじゃないか。楽しそうで」
 そう私が言っても返事が重い。
 庵治半島は、映画『世界の中心で愛を叫ぶ』で有名な高松市の外れに位置する半島だが、石の町としても世に知られており、庵治石を産出する。彫刻家イサム野口が精力的に活躍したことでも知られており、彼の死後に美術館が成った。予約が必要だが、人数限定で入館できる。
 私は石のことはよく知らないが、加工後いらなくなった石の塊やかけらが浜に落ちているのを釣りに行って目にすることがある。けっこうあちこちに捨ててある。むろん地元の石屋は庵治石ばかり扱っているわけではないので、高級な庵治石だとは断言しかねるが、大理石にちがいない代物が砂に埋まっていたりもするわけで、一つの特色だなぁと立ち止まって見たり、手に取って吟味したりもするが悪い気はしない。
 手を加えても石は元々が天然の石であり、浜に転がっていても嫌な気はしない。

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ふらっと入った喫茶店は、石に板を乗せたテーブルで客をもてなす

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さすが、石の町。テーブルの上にも小さな石の彫刻が

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モーニング、こいつがまた美味かった

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休日は浜でカップルをよく見かける。日本の未来は明るいかも

 浜に出ていたカップルは愛を叫びに来たのにちがいないが、きめの細かい石のかけらを拾って帰ったかもしれないし、映画のロケ地を巡って二人の仲をいっそう深めて去ったに過ぎなかったのかもしれない。
 カップルが去ったあともうちの若い衆はショアジギングに熱をあげていたが、私は竿を出さなかった。波返しの上に腰かけて足をぶらぶらさせて、ただ若い者らが釣りをするのを見ていただけだ。

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岩場から釣る若者が多い

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サワラの一級ポイントに3人いた

 私の見知らぬ若者らも浜の左右の岩場で一心に投げたり巻いたりしていた。大きな青物どころかサゴシすらあがらなかったが、海はひろく凪いで気分はすこぶるよかった。
 釣りをしていない私だけかもしれなかったが、気分上々であった。
 たまには竿を出さずに海辺で呑気に過ごすのも悪くない。
 そのとき、そう思った。



奢られる、貰う

 大岡越前の再放送を観て、散歩に出た。
 どうよ?
 なかなかの爺ぃだろ。
 その日は平日で天気がよく、夕どきに約束があった。晩飯を食う。その野郎はやり手の経済人なので、誘っても誘われても飯は毎回そいつの奢りである。なので、美味しく晩飯が食えるよう腹を減らして行く必要があった。しっかりウォーキングして、また午後にもウォーキングをして、飯にいこうと考えた。
 朝のウォーキングに出ると、さっそく近所のおばちゃんに声をかけられた。家のすぐ近くに菜園があって、おばちゃんが三人来ていた。農家の休耕地を共同で借りて野菜や花をつくっている。三人のほかにも一緒に農作業に来る人がいる。全員が近所の中高年だ。
 ウォーキング中の私を呑気な必殺散歩人(何が必殺だかわからないが)とみて、声をかけてきた。おばちゃん三人の井戸端である。女三人寄るとかしましいのは仕方ないが、散歩人を冷やかす暇があれば畑仕事に精を出せよと内心可笑しくもあった。が、しかし、朝のあいさつをされて挨拶しないわけにもいかない。

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食いつくか、食わずに終わるか。それが問題だ!

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仲間の釣り船が沖に居た

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熱心でなかった私にはフグしか釣れなかった

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貰い物の夏野菜。形も粒も不揃いだが、味が濃くてうまい

 あいさつも早々、最近、釣れているかと問うので、ハマチサワラヒラメスズキ、とにかく瀬戸内海にしては大きい魚ばかり目立って釣れていると答えた。すると別のおばちゃんが、そんな大きな魚を釣るには大きな餌が必要だろう、餌は何かというので、餌ではなくてルアーだと説明すると、「あの騙しで釣るんなぁ」と興味深そうだった。すると、黙って聞いていたもう一人のおばちゃんが、「餌でも、その騙しでも、けっきょく釣られて命を落とすのやねぇ」と乾いた声で誰に言うともなく言ったので、ちょっと間の悪い感じになった。
 最初に何が釣れるかと訊いたおばちゃんが、「持って帰りまい」と明るく讃岐弁で言って収穫物の野菜を分けてくれた。三人とも野菜を分けてくれた。
 こういうこともあろうかと、用意のいい私は上着のポケットからスーパーのレジ袋を取り出すと、貰いものの野菜を放り込んでいった。みるみる袋が膨らんだ。
「あらまぁ、用意がいいねえ」と最年長のおばちゃんが言って笑った。
「貰うのは得意なもので、もう慣れたもの。ベテランの域ですがな」
 そう私が照れると、
「うまいこと言うなぁ~」
 そう言ってみんなで笑った。
 ほんとうにベテランの域で、野菜ばかりでなく、あちこちからよくものを貰う。とくに貰いものは食べ物が多い。その多くが貰いっぱなしである。たまに釣った魚をさしあげることはあるけれど。
 散歩中に季節の野菜を貰う。
 イチジクの木を植えている畑の傍を通るたびに、熟れぐあいが気になる。去年の夏以降、イチジクをあちこちから貰って食べたが、たった一本しか植えていない畑のイチジクの木が2018年は豊作でたくさん実をつけた。特別手入れをしているようにも見えないが、貰って食べてみると甘くておいしい。胡麻粒みたいに細かい種の果肉に混ざった食感が、あぁ、イチジクだなあ、昔ながらの味わいだ、と私の舌を嬉しがらせる。
 三匹のおっさんならぬおばちゃんたちから何の野菜を貰ったかは記憶にない。
 しかし、五月以降も何度か貰っている。とくに初夏のころは品数も増えて、家計の助けになった。
 この原稿を書いている今は平成最後の一月上旬だが、少し前にも大根を貰った。太った見映えのよいこの大根は、力を込めたときのアスリートの腕の筋肉ほどの硬さか。つまり、大根にしてはやわらかい。変な表現だが、スーパーの大根はもっとずっと硬くて弾力に欠けるようだ。ややしなびたような触感だが、こいつがまた甘みがあっておいしい。とくに大根煮がすこぶる旨く、メバルの煮付けと同じ皿に盛り付けて出されると食べることに集中してしまい会話も忘れてしまう。
 いろいろ貰って食べるうちに家庭菜園も侮れないぞと感心するようになった次第である。

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「なぜだ、どうして食わない?!」と若者。知るか、そんなこと!

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ここには割り込めない。平均年齢がぐんとあがってしまう

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晩春初夏の頃はこいつで賑わった。サワラには少し長さが足りないが上々だ

 さて、前ふりが長くなってしまい、不本意ながら本題を端折らなくてはならない羽目となったが、野菜を貰ったその日、その野郎から晩飯を奢ってもらった。
「おまえはそうやっていつも経済をこきおろしては、俺に飯を奢らせる」
「ああ、だって美味いじゃないか。美味いものを出す店の特定に関しては、到底おまえにかなわないよ」
「よく言うよ」
「そして、おまえは持てる者だ。俺はおまえほど持っちゃいねえ。銭の殖やしかたもよく知らねえからな」
「俺もロックフェラーやゲイツほど持ってないさ」
「ほう。大きく出たな、あやかりたいか?」
「おまえは?」と野郎が真顔になった。
「兼好を読んだか?」と私も真顔で言った。
「徒然なるままに・・・、あれか?」
「あれ一巻読めばじゅうぶんだ。金持ちと付き合っても得はない」

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秋口のはイチジクを貰う機会が増えた

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長いあいだ冬の散歩着はもっぱらこれ

 そんなふうに話に花を咲かせているうちに、今度はジビエ料理を食わせてやるから夏にイワナを釣らせろと押しの強い口調で依頼された。まるで仕事の契約のようだった。まぁ、美味いものを奢ってくれるというなら少々横柄でも口のきき方は気にしない。
「ああ、あれかい。テレビで観たことがある。害獣の猪を罠にかけて肉をジビエ料理にして出したら地元の安全に寄与することになるうえ、その肉を料理にして提供したら客は喜ぶし、利益も出て、一石二鳥ってやつだろ」
「その店かどうかトンと知らないがね。そいつのこと、相当気に入らないようだな」
「猪は害獣じゃない。猪は猪だ」と私は言った。
 誰がどう思おうと勝手だが、そう思う。

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場所は淡路島の阿万。海岸の波返しがアート作品に!

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青物が暴れてクーラーに激突。思わず苦笑い

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小ぶりだがシオは美味しい



モンゴイカを狙って釣る

 アオリイカがここ二三年よくない。春から初夏の親イカも秋の新子もぱっとしない。
 それならコウイカはどうか。コウイカは海底に居て、餌が通り掛かるのをじっと待っていることが多いイカである。なので、エギを底へ落として、あまり底を切らずにゆっくり誘うほうがよく釣れる。中層でエギを捕えるときのアオリイカのような派手さはないが、おっかなびっくりちょいと触っては来るもののなかなかエギを抱かない注意深さが釣る側の人間をやきもきさせる。じつに、じれったい。私はむしろ鈍感で、ちっとも神経が繊細でないので、それくらいは何とも思わないが、投げるたびにアタリだけで確かな手応えがまるでないとしたら、やはり、「せっかく来たのにボウズはつらい。それだけは勘弁してほしいな」くらいの心配はするにちがいない。
 癇癪持ちは余計癇癪がひどくなるだろう。

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デーブ鎌田はエギS2の旧モデルがお気に入り

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もうひとつ釣ったがこれよりは小ぶりだった

 コウイカには何種類か居て、瀬戸内で釣れるのが三種類とか四種類とか聞く。
 ここ数年、コウイカのなかでも王様級のモンゴイカがぼちぼちあがっている。大きいのが釣りあげられるといっとき話題になる。しかし、それは大型のイカなので話題にのぼるだけで、狙って釣れるほどメジャーではない。
 ところが、このコウイカの親玉を高確率で仕留める男が身近にいる。デーブ鎌田である。
「おまえが釣り上手なのはよく知っている。でもな、相手が相手だろ。だいたい絶対数が少ないじゃないか。狙って釣るには数が圧倒的に少なすぎやしないか?」
 そう私が言って不審がると、「好きにやらせてくれたら、まぁ、釣りますよ」と自信ありげに言うので、ではデーブの好きなようにやらせてやろうということになって、いざやらせてみると、朝の一時だけ竿を出したに過ぎないのに本命のモンゴイカを二つもものにしてしまった。
「なぜここなの?」とびっくりして私は訊ねた。
「ここに陣取ってアタリもないなら今日は日が悪かったというわけですよ。また後日ということになります」
「でも、入っていれば、ピンポイントでここってわけか?」
「ここだけじゃないけど、有望にも順番があるわけで」とデーブは余裕の表情である。
「では、それが今やっていた場所だとして、他と何がどうちがう?」
 デーブ鎌田は気のいい男なので、そう訊けば必ず答えてくれるが、あまり公表されたくないという雰囲気だった。
 なので、雑記にまとめることにして内実の詳細を避けたわけだが、彼の論じるところはいつも理に適っており現場主義の徹底が揺るがぬ基礎になっているところが気持ちいい。

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PEは0.4〜1号までを使い分けると語ってくれた

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魚介類に詳しいデーブ鎌田。笑顔が怖いかも!

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雄と雌と模様がちがうそうだ

 月に絶品のブリを何尾か選んでもらって三枚におろしてもらった恩もあるので、ここでは大いに褒めておくのだが、褒めようがそっけない態度で臨もうが、奴は釣る。人を出し抜いてでも釣る。
 そして、釣る奴の共通点である現場主義を徹底している。これまでも人より多く釣り場に出て来た。とどのつまり実践の継続に余念がないのである。



久しぶりにバスを釣る

 メバル用のPEラインのテストをしていたこともあってバスを狙うときもそのPEラインを巻いたスピニングリールを竿にセットして出かけることが多かった。
 そうは言ってもバスを釣るのはバスタックルというのが信条であるから、どうしてもベイトタックルでバスが釣りたくて仕方なかった。ベイトリールにバス専用のラインであるアンブッシュを巻いてバスを釣りに行く。ちょっとこの釣りを齧った程度の私には、バスをベイトタックルで釣るのが凄く格好よく見え、また新鮮に思えた。それは今も変わりがなくて、バス用ベイトタックルでバスが釣れると人目も憚らずにんまりしてしまう。
 そうは言っても、やり始めたころから大して上達してはいない。気が向いたら出かける程度なので仕方ないといえば仕方ないが、そんな知識も技量も素人の域をでないジジイがレポートなんか書いているのだから読まされる方もたまったものじゃない。そんな気がしてときどき申し訳ない気持ちになったりもするが、平にご容赦いただきたい!
 そして、今回もまた行きたいという一心から出かけて来た。あてずっぽうに投げてバスがもし食いついたら儲けものだし、釣れなくても仕方ないというスタイルである。が、しかし、それが素人同然の私には気も楽だし良いと考えているので、これ以上釣りの上達を図って内容の濃い研究発表をしようとかいう気はまるでない。
 そうするとミーハー的にならざるを得ない。道具にしても格好をつけたがる。腕前はそっちのけでバス釣りの雰囲気だけは余すところなく楽しみたい。と、まぁ、そういう魂胆である。
 もちろん、ルアーに関しても格好つけたがり屋である。プラグもワームもバス用を使う。ぜったいではないが、ほとんどバスを釣るにはバス用のルアーをその特徴を踏まえながら適材適所その効果を期待できるよう考えて用いる。
 バスルアーは大きさも形もバラエティーに富んでいて、使うほどに興味が尽きない。
 ところが、ここのところ多忙で、バスをやっつけに行く時間を捻出できずにいた。
 身近に釣り場がたくさんあって、バスの王国と目される土地に居を構えているのに勿体ないことである。

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お気に入りのアンブッシュ

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使用したタックル

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バスの着き場を探して土手を歩く

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バスは夏バテ知らず。元気余って跳ねまわる

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こいつがラストフィッシュ。よく遊んだ

 そこで、八月下旬の暑い日に、陽ざしが山に傾きかけた頃合いを見計らって釣りの用意をし、日暮れに近い時刻に野池に到着できるよう家を出た。その野池まで三十分ほどで行ける。距離的には近いが町なかを通るので信号待ちも多い。なので、少し時間を遣うのである。
 池の土手に車を止めて、車外へ出ると蒸し暑かった。池のおもては凪いで、濁りが強く、夏の様子を呈していた。春先なら池の底へとつづく階段も相当下の段まで透かし見ることができるが、夏の今は数段下まで何とか目に追える程度である。プラグを引くにはある程度濁っていた方がいいとバス歴の長い仲間から聞いたことがあるが、雨がよく降るせいか濁りがいっそうきつかった。
 斜向かいの山林から野鳥の声が聞こえてきた。候鳥だろうか。聞き慣れない澄んだ声だが、小鳥にちがいない。その声は土手の斜面を降りて水辺に立っても聞こえた。
 じれったいほどにアタリが来なかった。が、それでも久しぶりのバス釣りなので心が躍った。じっとり汗ばんでもさほど不快に感じなかった。護岸された水辺を横へ横へと居場所を移しながら釣っていくと、水面に青葉が濃い影を落とす雑木林の側で魚の気配を感じた。魚が見えたとか跳ねたとかいうわけではない。ただ、そこに魚がひそんでいそうだと直感した。
「おや?」と私は思った。
 確証は持てなかったが、そこにバスがまちがいなく身をひそめていそうだった。青葉の下は薄暗く、いくぶん涼しげに見えた。樹の下は水面までじゅうぶんな距離があった。なので、その奥の方までルアーをねじ込むことに苦労はなさそうだ。
 私は竿を寝かせ気味にして、水面と平行に慎重に振り抜いた。自分でも驚くほど正確によく飛んだ。着水と同時にバイトがあった。
 水面が割れてバスがルアーに襲いかかって来たのだ。
「こんなことならトップウォータープラグを投げればよかった。もしデカイやつなら自慢話ができたのに」
 内心そう思ったが、どんなルアーで食わせたのであれ、一尾は一尾である。
 大きくもないバスだったので勝負はすぐについたが、久しぶりにバスを手にできて嬉しかった。
 その後もバスが出そうな場所から同じくらいの大きさのバスがルアーに果敢にバイトして来た。
 この日は食いが深く、バイトがあると必ずヒットした。バラシもなかった。軟らかい竿をチョイスして臨んだので、サイズがイマイチのバスでも取り逃がすことなく上手にあしらうことができたわけだ。
 秋が深まりを見せはじめるとバスは広く散ってしまうので、プラグの釣りが効果的である。広く探り歩く釣り方は性に合っているので、それこそ毎日でも出かけて行きたいが、メバルのPEラインの試作品をテストしないといけないし、個人的に試してみたいメバル用の新仕掛けがいくつかあるのでバスに割く時間はおそらくないにちがいない。
 釣り以外のことでも忙しい。
 ようするに年中忙しいのである。



十人十色

 毎日弁当六千食を貧しい人に配っているトニー・ティさんという奇特な人がいる。シンガポールの男性で、マグサイサイ賞の受賞者だそうである。どういう賞なのか全然聞きおぼえないが、トニー・ティさんのような行ないの立派な人を表彰して、なおいっそうその活動に精を出すよう張り合いづける意味合いから送られる賞なのだろうなとは薄々察しがつく。 「ああいう善行の裏には何か魂胆があるのだ」と妙に勘ぐる自称・人生の酸いも甘いも噛みわけた苦労人も少なくないが、私は甘くいい加減にひょいひょいと世を渡って来た大バカ者なので、毎日何年何十年と人のため自らのため寝る間も惜しんで頑張っている人間を見るとただただ頭の下がる思いがする。
 だって、貧しい人を助けることは自分自身を高めることにもつながると説くその意味こそわからぬではないが、努力を惜しまず持続させることはどのようなことであれ容易ではないと思われるし、逆立ちしても自分には出来そうにないとわかるから敬意の念を抱いて当然だろう。
 このトニー・ティさん。質問の受け答えもごく自然で、難解なところが一つもなく、押しつけがましさのかけらもない。テレビを観ていて気持ちがよかった。

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このサイズなら普通に釣れる

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チニングに来たわけではないがキビレもよく引いておもしろい

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下側のサイズを確実にものにできる技量が欲しい

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朝からキビレがよく食った

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当日は豆アジよりもレギュラーサイズが多く釣れた

 つい先日は、篠田桃紅さんがテレビに出ていた。気丈で、孤高の人すぎて、口軽く「婆さん」なんてとても呼べない人生の達人である。百五歳で、頭がしっかりしていて、百三歳のときに出した本がある。その本を読んだことがあるが気丈この上ない。あのような百三歳を私は知らない。第一、あのようではない百三歳の婆さんにすら会ったことがない。私の父方の祖母は百二歳で死んだ。父の姉は健在だが、まもなく九十二歳になる。自分の足で立って歩いている。杖はつかない。月一だった健診が二カ月に一回になった。「どこか具合が悪くなったら来てください」と本人を前に主治医は穏やかな口調で言った。それはそうだろう。健康なので診ても仕方ない。
「この年齢の人ならどこも悪くないこと自体が病気です」
 そう主治医は伯母を診ながら言いたげだった。
元気で細身で、孤高の人で、どこか篠田桃紅さんに似ている。あそこまで頑固ではないが、頭も気持ちも桃紅さん並みにしっかりしている。そんな伯母であるが、百五歳まで生きるかと問うと、「百五歳なぁ~」と笑っていた。

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アジは青物なので、引き味はよい

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「どんなもんだい!」と尾崎晴之。はいはい、お上手です

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アジは美味い。このくらい持ち帰れば刺身やフライが楽しめる

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このサイズが入れ食いに

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ぷりぷりに肥えたマアジ。好ファイトをみせた

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基本、キープする。刺身にしてもフライにしても美味い

 立派な行いの人、しっかり自分の足で立っている人、こういう生き方はたしかに世間の人を勇気づけることだろう。
 しかし、またそう思う一方で、自主独立の立派な人ばかりでは世間という劇場の舞台はあんがいつまらないのではないか。
 そう私など思ってしまう。
 世間は立派すぎる人や自力本願の人ばかりに耐えられない。
 そう思うのである。

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サバが入れ食いに

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このサイズでも引きは強烈!

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ぷりぷり肥えたマアジは刺身が最高

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アジだけキープした

 十人十色というが、考え方、生き方、行き方・・・
 いろんな奴が地球という玉を転がしていくから退屈しないで済む。
 よしあしはともかく、毎日がおもしろい。
 万事そういうことではないか。

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ラインはエステル、PE、フロロを使い分けている

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マハタが釣れた。淡路島は根魚も多い

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ご近所さんから頼まれて持って帰るアジは小分けに

 ん?
「釣りバカばかりでもやってはいけない」って。
 あらら。
 その声は、釣り好きを亭主にもつ奥様方!
 も、もちろん、そのとおり。
 小生、異論はございませぬ!
 南無阿弥陀仏。
 合掌!



キスのチョイ投げ

 夏中、メバル用PEの試作品のテストに余念がなかった。使い勝手はちょっと試せばわかるが、経時劣化については長期にわたって使いつづけてみないとわからない。根に擦れたばあいも仕掛けをすぐに組み直さずに擦れたままの部分を残して二回三回使ってみるとか、釣行終了後に酷使したと目される部分の多くを切り捨ててから仕掛けを組み直しておくということはせずリーダーの部分もそのまま次の釣行時にも用いて耐摩耗性や結節部分の強度を見てみるとか、そういうことを試すにも日月を要する。
 なので、九月になっても熱心に試しつづけた。
 メバルのPEラインだが、この時期というのはメバルがなかなか釣れてくれない。小型ならいざ知らず、ラインの強度テストに協力してもらいたいサイズのメバルにはそう滅多にはお目にかかれない。
 そういう事情から香川県と徳島県の県境に位置する引田町まで足を延ばすことも少なくなかった。この辺は根魚の魚影が濃い。通い出したのが秋口なので大型の期待は持てなかったが、引っ張り合いっこを試すには問題ない。

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ワームにイイダコが・・・

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夏場はキビレも多い

 残念なことに、小ぶりなカサゴが何尾か顔をみせてはくれたもののそれで終わってしまい、じつに不甲斐ない結果に苦い思いをしたことも何度かあった。
 あるとき、そんな引田町の海岸でキスのチョイ投げに来ていたミキカツさんとばったり会って話の弾んだことがあった。
 さっそく、ミキカツさんに私が訊いた。
「で、釣れたの?」
 すると、「そっちは?」とミキカツさんが問い返して来た。
 私は照れながら答えた。
「なんと、イイダコが二つ。その向こうの漁港の内向きで根魚を狙って底をねちねち探っていたら釣れちゃった。手元にがっかりするようなアタリが来てね、そしたら本当にがっかりなんだ。イイダコの連続ヒット。あとはカサゴ。それもちょっとだけ」
 いっぽう、ミキカツさんは朝から食いにムラはあるもののキスとチャリゴ(真鯛の幼魚)が好調だと嬉しそうに語るので、クーラーのなかを覗かせてもらうとキスに混じって良型のベラもいた。ベラはキュウセンで、この種類のベラは成魚になるとオスのみ体が緑色になる。なので、青ベラと呼ばれる。幼魚の時代はオスもメスもなくて、ある程度大きくなるとオスになる奴はオスになる。メスは変わらず幼魚の時の色彩で成魚になるが、やはりオスの方が大きくて貫録がある。

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使用したライン

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キスをダブルでGetしてご満悦なミキカツさん

 キスも、夏のキスにしては良型が多く釣れていた。
 試しに竿を貸してもらって釣ってみると、メゴチピンギスがダブルで釣れた。もういちど投げ込むと、こんどはチャリゴが釣れた。
 朝からずっと同じ場所に釣り座を構えて動かずにやっているという。おそらくミキカツさんの穴場なのだろうが、「今日は潮がいいのか実入りが多い」と嬉しそうだった。
 遠い沖にカモメが舞っていた。
 チョイ投げも悪くないなと思った。



真鯛の次に、また真鯛

 若いカップルが晩春の浜を散歩していた話を書いた(釣行雑記Ⅱ『庵治の浜にて』のこと)。あの話を思い出してほしい。あのとき浅瀬でチヌを見かけた。大きなチヌが二つ。少し離れたところで三つ。探して歩くとまた二つ。人におびえる様子もなく浜の渚を泳いでいた。
 そのことが頭にあったのでチニングに出かけてみた。季節的にもよいころあいである。
 しばらくぶりであったが、むろん馴染みの釣り場なので何も考えずに浜へ降りていった。
 夕暮れだった。
 ついさっき誰かが犬に散歩をさせて帰っていったのだろう、砂に人と犬の足跡が新しかった。
 日没後も半端なく暑かった。瀬戸は夕凪というが、むっとする暑さが気力を削ぐ。単独釣行だったので、「やれんなぁ、このうだる暑さは」と誰に憚ることもなく愚痴が口を突いて出た。
 釣りを始めてからも気乗りがしなかった。釣り人もいなければ、海に魚の気配も感じられない。ただ日が暮れてもいつまでも薄明るくて落ち着かなかったのを記憶している。
 夏の潮に洗われたところだけ砂の色がちがって見えた。
 いつもどおり、気安く仕掛けを投入してアタリを聞いてみた。少し居場所を変えて、くり返す。
 アタリはなかった。
 どうもパッとしないなと思うほど、仕掛けの扱いがせっかちになっていった。
 たいした規模の浜ではないが、釣っていくうちに、足が重くなった。砂に足がもつれそうにもなった。
 相変わらずアタリひとつない。
 それでも、ミノーを投げては巻き、投げては巻きをくり返した。それを黙々と続けた。この手でそのころ何度か河口でチヌを手にしていたから迷いはなかった。
 チヌの回遊があれば、アタリくらいあっていいはずである。
 それでも、まだワームで攻めるという手が残っていたので、気を取り直して釣り歩いて来たコースを逆に辿ってみることにした。
 このワームの釣りにも、チヌは無反応だった。
 時間だけが無情にも過ぎていく。
 もうあかん。
 帰ろうと思って波返しの方へと歩き出した。
 足取りが重かった。敗北感が色濃かった。
 しかし、踏み応えのない砂を踏んで半ば歩いて来たとき、気が変わってふたたび波打ち際へと引き返しはじめた。ふと思ったのだ。やり残したことがある。まだやれることを残してきた。
「よし!」と気合を入れた。
 もういちどミノーで攻めてダメなら帰ろうと腹を括った。仕掛けを組み直した。リーダーをナイロンからフロロに変えてルアーもサスペンドタイプに交換した。ゆっくり潮が浜に平行に流れていたので、ときどき巻く手を休め、その流れに海中のミノーを漂わせてみたりした。
 私は浜の真ん中あたりに陣取っていた。そして、その場からさほど動かずしばらくのあいだ熱心に攻めの姿勢を崩さず釣った。
 いつか聞いたことがある。フカセ釣りでチヌを狙うばあい、渚の釣りなら浜のまんなかに釣り座を据えてマキエを入れ、仕掛けを同調させて釣るとよい。初めての浜で、情報に乏しく、どこで釣ればいいかわからないときは、「とにかく真ん中、浜のド真ん中でやってみるがいい」そう名人が説いていた。
 ルアーの釣りに当てはまるかどうか、ちょっと弱いかなとも思ったが、釣れなくてもともとということで仕切り直してやってみることにした。その場からあまり動かないのにはそういう思惑があった。
 すると、何投目かにカツッと明確なアタリが来て、アワセを入れると、ラインがリールのスプールから引き出された。ドラグが悲鳴をあげた。リールに巻き取った分以上にラインが引き出された。堪えて、溜めて、巻き返す。そうこうするうちに、主導権が魚からこちらへ移ったとはっきりわかる瞬間があった。引きからシーバスでないことはわかっていた。チヌだろうと思った。波打ち際まで寄せて駆け寄るとチヌらしい姿がそこに見えた。
「やった! チヌや」と声を発したと記憶している。
 リーダーを手に巻いて浜の上へとずりあげようとして驚いた。波打ち際のそいつはチヌではなくて真鯛だった。わりと大きい。
 のちにメジャーを当ててみると、五十センチ後半の悪くないサイズだった。

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使用したライン

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チヌ狙いにマダイがヒット。嬉しいがちょっと複雑

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前回は夜、今回は日中にヒット

 当夜は、これ一尾。あとにも先にもアタリはなかった。
 それから二か月が過ぎたころ、同じようにチヌを狙って同じ浜へと出かけていった。
すると、また浜の真ん中でアタリがあった。同じような引き味に今度こそチヌだと疑わなかった。不思議と真鯛ではないかという考えは浮かばなかった。
 泡を食うということはなかったが、よく引いた。
 前回の良型と比べると見劣りするが塩焼きにすると美味しいサイズだったので嬉しかった。
 気候的にも過ごしやすい時期だったので尚のこと気分がよかった。
 けっきょく、チヌを狙って二回とも釣れたのは真鯛だった。
 その後、私の話を耳にして出かけた仲間は何も釣れなかったとぼやいていた。
 何年か前にメバルのワームで真鯛が初夏の一ヶ月間ほど釣れつづいたことがあった。 その記憶が脳裏によみがえってきたのだろう、出かけて行ってチャレンジする者が後を絶たなかった。が、しかし、シーバスの小ぶりなのが釣れたという報告のほか喜ばしい話は聞かれなかった。
 こうなると私個人としては些かなりとも鼻高さんにならないではいられない。自分だけ二回出かけて二回とも真鯛を釣ったのだ。自慢して当然だろう。
 けれども、よく考えてみると本命のチヌの顔を拝まずじまいである。
 なので、心境は複雑だった。



烏賊の口

 あとさきを考えずにものを言う質なので、「おまえ、何様のつもりだ」と噛みつかれることしばしばである。
 こちらの受け答えが相手を感情的にさせたのだとちょっぴり悔いたとしても、感情的になるのはあちら様の勝手である。私の知ったことではない。そうとも思うが、そんなことを言っていては世間が大人と認めてくれない。
 しかし、懲りない私は、あるときつい、「歌人のつもりです」と軽々に答えてしまった。
「・・・・・?!」
 むろん、相手はあきれてしまった。
「じつは今、短歌のことを考えていたので、どうか歌人ということでお願いしたい」
 そう私がきっぱり言うと、相手が受けて応じた。
「歌人って、言霊でしょ。そのように考えなしに軽々しく人にものを言うものじゃないと思います。そんな態度でよい歌が詠めますか?」
 お叱りは重々承知である。
 ですが、ちょっと困ってしまった。
「そのような気持ちで心のこもった歌が詠めますか。ことばにはたましいがある。そう言われても、言霊自体よくわからない。考えたことないです」
「でも、言葉には心を込めるはず」
 なるほど、御尤も。
 しかし、私は楯突いた。
「その意見には賛成しますが、たとえおっしゃるとおりだとしても、うたに言霊の響きの宿るような立派な歌詠みではわたくし御座いませんので、心だか魂だかについては正直よく存じません」
 その後も、少しのあいだ言いたいことを言い合ったが、その多くは忘れてしまった。

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海中のエギを確認しながら試し釣りする

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足元に気をつけながら移動する

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チヌがヒットしたがはずれた!

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どこへ投げても、判で捺したように、このサイズ!

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サイズが不満なため十ほど釣ってやめた

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本番サイズに成長するには、あと十日ほどかかりそう

 あとで同じ寄り合いに出席していたK氏に、「口が過ぎるとろくなことはない。気をつけろ」と窘められたが、あとの祭りであった。
 だいたい、口が過ぎるというが、口など実体もない。口というが穴に過ぎない。空洞があるだけだ。それなら魚の口に鈎を掛けると言ったところで無理な話だ。じっさいは上顎か、下顎か、横っちょか、呑みこまれたら喉のどこかにグサッと刺さり込む。
 だんだん話がおかしな方向へ・・・・・
「無茶言うな。では、口髭はどうだ。どうなる」とK 氏が半分むきになって言った。
「唇髭」と私は答えた。
「バカ言え。くちびるに髭など生えるものか」
「生えるね」
「唇だぞ」
「そう絡むなよ」と私は言った。
 解剖学でいう唇とは、たとえば上唇とは鼻唇溝の内側の鼻より下の部分をいう。鼻唇溝とは鼻の両脇に下方へと伸びる溝のことである。この鼻唇溝より外側は頬である。私ではなく解剖学者の養老孟司先生がそう説明しているのだから間違いはない。すると、一般にいう口髭は上唇に生えている髭を指す。
「だから、いついかなるときもほどよい加減に言葉が使われるとはかぎらない。俺が使う言葉がいい加減なのは周知の事実だが、おまえが言うこともすべてを真に受けると損をしないともかぎらない。口や肛門も穴があるだけだ。本来は穴で、仮に口と呼んでいるその穴から出た言葉など話半分にして聞いておくにかぎるさ」
「人をペテン師みたいに、よく言うぜ」
 K氏は呆れながらもどことなく楽しげだった。
「ことばにたましいがあるかどうかは知らんが、詐術に満ちてなくもない。いい加減だし、知らずのうちに人を陥れてしまったりもする。考えなしに用いると、じつに言葉は恐ろしい。持て余す。厄介な代物だよ。気をつけな、おまえも」
 そう私が言うと、K氏は少しおどけたふりをして、「おまえ。それじゃ(言霊じゃなく)悪霊だよ」と悪戯っぽく笑った。
 バカ話が弾んでコーヒーをおかわりした。
「おかわり自由じゃないようだぜ、この店」と私が言うと、K氏は俺が払うからジャンジャン飲めと上機嫌だった。
 むろん、コーヒーばかり飲んではいられない。
 会場にもどれば後半戦が待っている。
 軽くジャブを打ち合う真似をして、ふたり席を立った。

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使用したライン

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人気の鳴門北泊新港

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エギS2にヒットした秋アオリ

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入り用分だけキープした

 それにしても、口は災いのもと、口惜しい、空いた口がふさがらない、口から出まかせ、等々、口の登場回数は少なくない。つまり、なかなかの売れっ子ぶりである。とはいえ、どれもわかったようで本当はよくわからない。なぜそうなるのか、その理由はその時々でちがうのだから当然である。それこそ執拗にこだわり過ぎると話が前に進まないばかりか喧嘩になりかねない。口がいけないのか、言葉のせいかとバカを言っても仕方ない。
 話は変わるが、マダコ釣りに関するレポートを書いてユニチカに郵送した。近いうちに掲載されることと思うが、もう既に載ってしまっていて読まれた方もおられるかもしれない。
 それこそマダコの口は、その位置からしてかなりおかしい。まず胴の下に頭が来て、八本の足がその下で、ひろげた足のその裏側の中心に口がある。タコの親戚のイカも同じつくりになっている。手足を使って獲物を捕えることを思うと機能性という点からは正しい位置に口が開いているわけで、そんなこと人間にとやかく言われる筋合いはないとタコイカも揃って憤慨するかもしれないが、抗議されたところでタコ語もイカ語も知らない私には為す術もない。
 口という実態はなくても、言葉上存在する口を使って魚は餌をとる。なので、釣り師はどうすれば魚が口を使ってくれるかを始終考えている。
 しかし、タコイカは手足を使って餌を捕るから、そこを返しのない鈎でもって引っ掛けて釣る。タコイカも、アタリが独特なら引きも独特である。そこに魅せられてハマってしまう釣り師も少なくない。

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多用するタックルとエギ

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天気は下り坂。日中に勝負をつけたいが…

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秋も遅くなってこのクラスがよく釣れた

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雨でも頑張る尾崎晴之。裏向きだよ、アオリイカ

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秋アオリは美味。食べたいから釣りに行く

 そのアオリイカが不調である。ここ二三年、とくに秋の新子がよくない。とくに今期はダメである。釣れても小ぶりなものが多い。この傾向が来年以降もつづくかどうかを予想することは難しいが不安は尽きない。そうはいっても、今もなお(平成三十年十月現在)細々とアオリイカは釣れている。今年はタチウオの当たり年で、サイズを言わなければ釣るのは楽勝ということで人の出も多い。逆にアオリイカを釣る人は少ないのである。アオリイカも少ないがエギングを楽しむ人の姿もここに来て減ってきた。例年に比べるとさみしいかぎりである。
 なので、タチウオの回遊の少ない場所でやれば人出の少ないぶんアオリイカをものにできるチャンスはじゅうぶん残されている。ひと所に粘ってやったところで数が少なすぎるから連発など望むのは虫がよすぎるかもしれないが、じっくり釣ればおのずと釣果はついて来る。
 アオリイカはまだ完全に終わったわけではないのである。



パフィオが咲いた

 パフィオが咲いた。じつにわが家へ嫁いで来て八年目に花を咲かせた。
 それはなんという種類のパフィオかと訊ねる人は身近にいないので、パフィオとだけ記述しておくが、まぁ、写真を見てのとおり、変わった花である。こういった風変わりな容姿の植物は蘭であることが多い。蘭は植物の進化の頂点にある植物で、村上園芸の村上喜昭氏によるとバルボフィラム属がラン科植物のなかでもその最先端に位置するのだそうである。
 でも、まぁ、そんなこみいった会話を普段全くしない私なので、八年目にはじめて花を見たのがわが家のこのパフィオだとだけ書いておく。
 花を見るまでに年月を要する気難しいタイプのなかの一つらしいとわかっていたので大して開花に関しては期待していなかったが、いざ花を見ると、「わっ、咲いた!」と大いに嬉しく、大いに驚いた。
 たくさんの植物がわが家には居候している。なので、いちいちどれがどれだかよくことがわかって世話しているわけでもない。そのパフィオに関してもその株だけ特別気にかけていたわけではなかった。植物側からすると咲いて存在感を示さないかぎり種類を問わず鼻にもかけてもらえない。それがわが家のしきたりである。
 なに? 「そういうのはしきたりといわない」ってか!
 それは失礼!
 まぁ、それはそれとして、そんなに咲くまで長くかかる上に気難しい植物を育てて何の得になるのかと聞く人もまあまあ居る。おっしゃるとおり何の得にもなりはしない。咲かせて喜ぶ栽培家なら自己満足のためということになるだろうが、わが家の植物の多くは単なる居候であり、気を使われる存在ではないし、まして箱入り娘よろしく過保護に扱われる高待遇の存在でもない。もちろん虐めたりはしないが、居候の身分の域を出ないのである。

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開花まで八年かかった

 お互い干渉し合わない。
 こちらもかまわないが、あちらも放っておいてくれと言わんばかりである。
 それでも、そばを過ぎんとするとき、たまに声がする。
「なぁ、水くれや」
「居候風情が何をいう。面倒抜かすな」
「だって、育ての親だろ」
「誰が、親だ」
「そんな冷たくするものじゃないぜ。植物虐待法違反で訴えてやる」
「やれるならやってみな」
 この程度には諍いもする。
 とはいえ、よくも悪しくも万事この程度のつき合いである。
 それでも、誰かが言う。
「そんなことして、何になるの?」
たいてい「何になる?」と相手が口にするときは経済のことである。そこまで手を掛けて咲かずに終わったら元も子もないではないか。どうせ安くないだろう、蘭なのだから。
「花を見ずに枯らしたら大損だ。」
 きっと、そう言いたいのであろう。
 それって、世の奥さま方が、「それじゃあ(魚屋で)買った方が安いわ。そう思わない、あなた?」と釣りバカ亭主の天性の無邪気さに対して軽々にもの申すその様にどこか似てはしないか。
「金がすべてかよ」と文句の一つも言いたくなるが、「金は大事だよ」とすぐさま言い返されそうである。

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寒さに顔がこわばる尾崎。これこそ「そんなことして何になるの?」と言われそう

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高松の市街地付近もメバルが少なくない

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水面下をただようPEを使用。扱いやすさからか根魚がよく釣れた

 そうなると、数字に疎い筆者は途方に暮れるよりほかない。
 ならば暮れついでに、陽が落ちたら、今宵はメバルでも釣りに行こうか。
 それがいいかもしれない。

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