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時代の刻印 ユニチカの軌跡

1927年(昭和2年)〜
1945年(昭和20年)

昭和初期の世界恐慌と戦時下の経営

年代
当社事項
業界・一般事項

大日本紡績

2月

山崎絹糸工場は絹布工場、晒加工工場の新設、
山崎工場と改称

6月

橋場工場に約3,000名によるストライキ発生

橋場工場
(のちの東京工場)

日本レイヨン

2月
宇治工場運転開始 大阪で営業開始
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宇治(第一)工場完成予想図
創業当時の日本レイヨン宇治工場本館事務所付近

宇治工場完成、第1工場運転開始。
生産能力は人絹日産2.7トン。設備はボビン式紡糸機10台、遠心式紡糸機15台、合計2,400錘。

3月
金融恐慌発生
3月
日本レイヨン・帝人・東レら6社により日本人絹聯合会を組織
4月
全国銀行取引所一斉休業(近江銀行倒産)(4/22)
5月
中国の動乱と排日貨運動により輸出不振で綿糸低落

大日本紡績

 

社内スポーツの組織的活動のため、この年「大日本紡績体育連盟」発足

2月
初の普通選挙実施(2/20)
11月
昭和天皇即位大典挙行(11/10)

大日本紡績

7月

青島大康紗廠の争議は在華邦人紡績に波及し、操業を停止

10月
世界恐慌始まる

大日本紡績

7月

不況対策として人員整理を実施

日本レイヨン

12月

株主配当中止、一部職員解雇、定昇停止

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日本の失業者は30万人を突破。日紡株価はこの年、額面に近い52円。

1月
金輸出解禁
4月
ロンドン海軍軍縮条約調印

デフレ政策下の不況で全国の失業者32万2,000人

大日本紡績

3月

津守新工場操業

日本レイヨン

9月

宇治工場でレーヨン・ステープル(スフ)試験生産開始、大日本紡績(津守)で紡績

9月
満州事変勃発
9月
英国金本位制停止
12月
金輸出再禁止実施

この年、人絹織物生産高、毛織物生産高を凌駕

大日本紡績

2月

上海大康紗廠は上海事変のため、邦人勤務者総引揚げを決定

日本レイヨン

11月

菊池社長、昭和天皇に「人造絹糸に就いて」ご進講(ご説明)

1月
第1次上海事変勃発
3月
満州国建国宣言(3/1)
12月
国内インフレの進行に伴い人絹糸相場も暴騰

この年、人絹織物生産高・輸出高とも絹織物を凌駕

日本レイヨン

5月

宇治第2工場運転開始 日産12トン体制に

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菊池恭三
大日本紡績社長、日本レイヨン社長、三和銀行取締役

1933年 三和銀行誕生

菊池恭三は三十四、山口、鴻池の三行合併に奔走。三和銀行初代取締役に就任。

12月
三十四、山口、鴻池の三行が合併し三和銀行創立、菊池恭三は取締役に就任
12月
米国デュポン社、ナイロンの合成に成功

日本レイヨン

3月

宇治第3工場運転開始 日産19トン体制に

3月
日英会商決裂
4月
各国の輸入制限に対抗し通商擁護法公布

日本レイヨン

4月

岡崎第1工場運転開始 日産13.5トン体制に

操業開始当時の岡崎工場全景
 

大日本紡績

11月

上海大康紗廠、青島大康紗廠はストライキにより閉鎖

11月

5代目社長に小寺源吾就任、12月には会長に菊池恭三就任(12/23)

5代目社長 小寺源吾
1月
日本政府、ロンドン軍縮会議脱退通告
2月
2・26事件起こる

日本レイヨン

9月

新日本レイヨンを設立(9/10)資本金3,000万円

7月
蘆溝橋事件、日中戦争始まる
8月
第2次上海事変が起こり、戦火拡大

日本レイヨン

6月

菊池恭三社長が会長に、菊池文吾常務が社長に就任(6/24)

9月

新日本レイヨン江津工場、スフ運転開始

6月
スフ生産割当制実施
12月
商工省、人絹糸配給にも切符制採用を決定

日本レイヨン

11月

中央研究所設置(宇治工場内)

11月

新日本レイヨン紡績工場(江津)運転開始

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中央研究所の設置(日本レイヨン)

綜合研究所正面(昭和23年頃)

1939年(昭和14年)日本レイヨンの高松勇治郎は渡米した折、デュポン社の研究所を訪れその必要性を痛感。帰国後、菊池文吾社長に懇願し同年9月19日に設置が決定。11月に新組織としてスタートした。高松は初代研究所長に就任した。

8月
アメリカ、日米通商条約破棄通告
9月
第2次世界大戦始まる
10月
京大桜田教授がビニロン繊維「合成1号」研究発表

大日本紡績

11月

菊池会長第100回決算を機会に役員を退任(11/25)

12月

東亜繊維工業(坂越工場)でアミノ酸醤油製造

日本レイヨン

8月

日本硫黄から工場買収、大和田工場として二硫化炭素を生産

2月
繊維製品配給統制規則公布
9月
日独伊三国同盟成立
10月
会社経理統制令、賃金統制令公布
11月
紡聯、50万錘単位の企業統合要綱を決定
12月
企業整備統合要綱決定
(第一次企業整備)

大日本紡績

7月

岸和田紡績合併 合併・閉鎖、事業場の売却、貸与相次ぐ

岸和田紡績本社(左)と本社工場(右)
10月

琿春炭鉱(満州)の経営を開始

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大日本紡績は定款改正において「本会社ハ炭鉱ヲ所有シ経営ヲ為スコトヲ得」の項目を挿入。これより炭鉱事業が開始された。戦時下の工場のエネルギー源として始まったが、軍により自社内での消費は許されなかった。大日本紡績では1943年(昭和18年)から戦後を通じて6年間にわたり6砿業所を確保し、戦後の工場再建に大きく寄与した。

4月
生活必需物資統制令公布
12月
太平洋戦争勃発

大日本紡績

 

東京工場を東京航空機工場、坂越工場を航空燃料工場に転用

 

津守第1工場を陸軍兵器補給廠に貸与、工場譲渡や軍管理下

日本レイヨン

6月

社名を日本航空機材(株)と改称、軍需生産に転換(6/29)

11月

岡崎工場の強化木機材生産操業開始

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坂越航空燃料工場

大日本紡績20工場のうち9工場は飛行機部品などの軍需生産に転換を余儀なくされた。


紡績聯合会、日本羊毛工業会は相次いで企業再編を敢行。
大日本紡績は、宮川毛織、東海毛糸紡績、帝国毛糸紡績、三島毛織、日本整毛工業、日本製絨、第一毛絲紡績、山保毛織、山本毛糸紡績、羊興毛糸、松尾毛糸紡績所などを吸収した。

日本レイヨン(株)は日本航空機材(株)に改称

木製プロペラ

1943年(昭和18年)6月29日、軍需産業転換への旗色を鮮明に打ち出し、木製プロペラ、航空機の骨組を形成する桁、操縦用索条の滑車、機体の外部に張る合板等の生産に転換。終戦時には登録生産能力に対しレーヨン糸1.5%、スフ2.1%と微々たるものだった。

6月
工場法の戦時特例を公布
9月
イタリア無条件降伏
10月
軍需会社法公布

大日本紡績

5月

津守工場は軍用麻、雑繊維により再開

日本レイヨン

3月

宇治工場 航空機用燃料製品初出荷

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戦時下の企業整理による軍需転換と売却

政府の戦力増強企業整備要綱により金属回収が強化され、国内綿スフ最高設備時期の65%にあたる857万錘の設備が26万トンの鉄屑となった。他にレーヨン各社も8.7万トン供出した。


オーツタイヤ本社工場
(旧日本整毛工業)

1944年(昭和19年)5月、大日本紡績と内外ゴム(株)の共同出資により「大日本航空機タイヤ株式会社」が誕生。待望の戦闘機用第1号タイヤが誕生したのは12月だった。

8月
学童集団疎開開始
12月
繊維工場に工場事業場管理令適用

大日本紡績

 

津守・尼崎工場空襲で全焼、大垣化学工場は空襲により寄宿舎ほかのべ3,054坪焼失

日本レイヨン

1月

伏見・米子(後藤)・江津3工場大阪陸軍造兵廠に接収される

10月

社名を永興産業(株)に改称(10/30)

5月
ドイツ無条件降伏
8月
広島、長崎に原子爆弾投下
8月
ソ連参戦
8月
終戦の詔書渙発、日本無条件降伏(8/15)
10月
国際連合成立