「困而知之」「不足偽足」は当社の中興の祖として偉大な功績を残した、菊池恭三の座右の銘です。
「倹素にして困苦艱難に耐え、創意工夫、変化と革新」を旨とした菊池の精神は、その後に続く者達に脈々と受け継がれています。
「ユニチカ百年史」は、日本の繊維の歴史を知る上でも興味深い内容となっております。
ぜひ一度ご覧ください。
目次
ニチボー編
- 序 章わが国綿業の近代化と尼崎紡績の創立(~明治45年)
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- 1黎明期のわが国綿業と当社の源流をたどる
- 2尼崎紡績の創立と菊池恭三
- 3経営基盤の確立
- 4明治後期の隆盛
- 5創立初期の諸規定と福利厚生
- 第1章大日本紡績の誕生と摂津紡績(大正元年~7年)
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- 1大正初期の尼崎紡績
- 2摂津紡績の歴史
- 3摂津紡績の拡大と統合
- 4尼崎、摂津は合併して大日本紡績となる
- 第2章新生大日本紡績の拡大と多角化(大正7年~昭和10年)
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- 1在華紡績事業への進出と反動不況の克服
- 2拡大と多角化を目指す
- 3昭和初期の不況と合理化の推進
- 4 近代化を経て大成へ
- 第3章小寺社長と戦時下の経営(昭和11年~20年)
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- 1小寺源吾の社長就任と在華紡績
- 2人絹、染色加工業への着手
- 3企業合同再編成への対応
- 4岸和田紡績の合併
- 5羊毛工業の再編成と羊毛部門の拡大
- 6戦時下の事業展開
- 第4章戦後の再建と復興(昭和20年~30年)
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- 1戦後の統制と生産再開
- 2復元の進展と原社長の就任
- 3朝鮮動乱前後の社業と反動不況
- 4戦後の労働事情と教育・体育・文化活動
- 第5章構造的不況打開への経営努力(昭和30年~44年)
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- 1新時代を迎えた繊維産業
- 2ビニロン事業の強化と展開
- 3国内関連事業の拡大
- 4海外事業の展開
- 5新時代への対応と機構改革
- 6難局打開への緊急対策
日本レイヨン編
- 序 章レーヨンの夜明け(~大正14年)
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- レーヨンの夜明け
- 第1章日本レイヨンの初期とレーヨン工業の確立(大正14年~昭和14年)
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- 1日本レイヨンの創立と宇治工場の建設
- 2レーヨン工業の確立過程と日本レイヨン
- 3レーヨン工業の黄金期と日本レイヨン
- 第2章戦時体制下での苦節(昭和12年~20年)
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- 1統制の強化と生産の縮小
- 2企業整備の進行と合成繊維の登場
- 3軍需産業への転換と日本航空機材
- 第3章戦後の復興と新たな展開(昭和20年~29年)
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- 1ゼロからの再出発
- 2レーヨン事業の復元と合成繊維研究の本格化
- 3一大転機となった朝鮮動乱前後
- 4戦後を清算して離陸態勢へ
- 第4章合繊時代の到来と日本レイヨン(昭和29年~38年)
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- 1新規事業と旧来事業の消長
- 2繊維不況を克服し発展期へ
- 第5章業界再編成と日本レイヨン(昭和38年~44年)
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- 1最盛期から一転不況へ
- 2深刻な不況で成長軌道を大修正
- 3合併への道程
ユニチカ編・通史編
- 序 章合併前夜(~昭和44年)
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- 1ある冬の日曜日
- 2原社長の危機意識
- 3「熟慮断行」
- 第1章ニチボー・日本レイヨンの合併(昭和44年)
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- 1合併の発表
- 2合併覚書および合併契約書
- 3社名の決定
- 4社長メッセージ
- 第2章ユニチカの発進―坂口社長就任(昭和44年~45年)
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- 1ユニチカ誕生
- 2新会社の概要と構想
- 3ユニチカ発進す
- 4新しい年―日本万国博など
- 5ポリエステル特許訴訟和解
- 6機構改革と人事異動の発表
- 第3章基本路線の実現へ―富井社長就任(昭和45年~47年)
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- 1社長交代
- 2機構改革の実施
- 3ユニチカ最初の決算
- 4エンジニアリング事業に着手-公害防止関連へ
- 5中期計画-新生ユニチカの基礎固め
- 6UMM社との提携―ガラス繊維事業へ本格進出
- 7アクリル繊維について―事業化計画の結論
- 8ユニチカ初の技術輸出―インド向けタイヤコードプラント
- 9相次ぐ新会社・新事業
- 10「全従業員に告ぐ」―ニューユニチカ運動の展開
- 11塩塚会長の退任と回顧
- 12中国向けプラント商談-古い友人ユニチカ
- 13経営陣の一新
- 第4章人心の一新と人材の活用―小幡社長就任(昭和47年~49年)
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- 1新しい経営陣
- 2「小幡語録」に見る経営観
- 3労働協約の統一とEDPシステムの統一
- 4再建の方針と計画
- 5各社との協力体制進む
- 6拡大するニット化の波
- 7カリフォルニア綿の長期契約締結―綿花の人
- 8蚕糸部門、絹糸部門の分離とその後
- 9大阪国際ビルオープン
- 10労働組合の統合
- 11製品3社と川下作戦-サザン青山、ユニメイト、トータリア
- 12 国際化への取り組み
- 13石油危機に対処-省エネルギー対策委員会発足
- 14マトリックス型オーガニゼーション―商品別プロジェクトの発足
- 15ユニチカマスコットガールの登場
- 16復配―ユニチカ再建に2つの賞
- 第5章オイルショック下“嵐の船出”―小寺社長就任(昭和49年~57年)
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- 1「誠実こそが信条」
- 2関連事業本部の新発足-関連83社の再検討
- 3連続自動紡績システムUKSSの完成
- 4エステルタイヤコードの企業化―アライド社より技術導入
- 5エイテル事業の撤収
- 6開発本部の動き―食、住への本格進出ほか
- 7第1次オイルショックの波と不況対策
- 8海外新規事業の凍結
- 9ファウンデーション事業への進出―「フォームフィットジャパン」の設立
- 10非繊維事業の進展
- 11哀悼―坂口二郎(元社長)の逝去と社葬
- 12同和問題との取り組み
- 13京都工場移設と宇治プラスチック工場の発足
- 14ニューコミュニティづくり―高田、京都2工場跡地利用
- 15東洋紡、鐘紡、ユニチカ3社の提携
- 16ユニチカテキスタイル社の発足
- 17シルキー合繊「シルミー5」の登場とその歴史
- 18体質改善計画一減量経営の徹底、五部門の分離独立
- 19経営陣の異動と体制の強化
- 20帝人との提携案
- 213カ年計画―選択的拡大など4つの基本方針
- 22各工場興産会社の設立
- 23ユニチカ発足10年を迎えて
- 24レベルアップ運動の展開
- 25技術開発本部の設置
- 26ユニチカグループの結束強化―関連会社社長会開催
- 27第2次オイルショックの波
- 28バイオメディカル分野への進出(Ⅰ)
- 29「オーツタイヤ」の経営権を譲渡
- 30中長期ビジョン―テキスタイル事業の強化
- 31ポリエステルフィルムに本格進出
- 第6章再構築から攻めの経営へ―平田社長就任(昭和57年~平成元年)
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- 1新経営陣と中長期ビジョンのスタート
- 2ユニチカテキスタイル社を吸収合併
- 3クラレとの業務提携―ビニロン事業の路線転換
- 4「体制刷新の年」-構造改善対策の実施
- 5プリント配線板事業へ進出―「ユーアイ電子」を設立
- 6羊毛事業部門の分離
- 7情報事件訴訟判決
- 8新中期3カ年計画と「チャレンジ101」
- 9「ユニチカ・ストッフ」(総合素材展)の挑戦
- 10差別化原綿拡充の波―「トルファン」の登場
- 11哀悼
- 12急激な円高の影響と対策
- 13中央研究所新館完成―非繊維拡充へ加速
- 14研究の花開くハイテク商品
- 15経営強化特別対策「R100対策」の実施
- 16総合管理システム「UPS」構築へ
- 17ナイロンフィルム製造技術海を渡る
- 18「海外紡」の終焉
- 19超高速合繊紡糸技術の確立
- 20バイオメディカル分野への進出(Ⅱ)
- 21哀悼―昭和天皇とユニチカ
- 22復配の発表と社長交代
- 23創立100周年―新しい出発
ユニチカ編・部門史編
- 第1章天然繊維事業部門
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- 1綿(綿合繊)糸布部門の概況
- 2羊毛部門の変遷
- 3製品部門と官需部門
- 第2章合化繊事業部門
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- 1ナイロン事業の概況
- 2ポリエステル事業の概況
- 3生産活動
- 4レーヨン部門の変遷
- 5ビニロン・化成品事業の変遷
- 第3章ガラス繊維事業部門
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- 1創業のころ
- 2拡大期へ向かう
- 3新しい体制の展開―UUGと垂井工場のスタート
- 4構造改善期―UUGの工場移転とICクロスの生産開始
- 5新しい発展の路線
- 第4章プラスチック事業部門
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- 1樹脂事業の歩み
- 2フイルム事業の歩み
- 第5章スパンボンド事業部門
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- 1スパンボンドの始まり
- 2BSM開発室の活動と企業化決定
- 3増設の足跡
- 4スパンボンドの用途別発展
- 第6章エンジニアリング事業部門
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- 1創業から拡大へ
- 2苦難の時期
- 3着実な上昇
- 第7章建設・不動産事業部門
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- 1初期の頃
- 2面開発プロジェクトと開発本部の時代
- 3建設、不動産機能の合体
- 4苦闘の時期
- 5景気回復と事業の活況
- 第8章国際事業部門
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- 1旧両社の流れ
- 2ユニチカの国際事業運営
体育・文化活動
- ニチボー
- 体育連盟の復活/バレーボール /バスケットボール/ソフトボール・軟式庭球/文化活動と職場皆唱
- 日本レイヨン
- 体育・文化活動の再開と活性化/開花期へ/全盛期へ
- ユニチカ
- ユニチカ発足から/バレーボール/バスケットボール/ソフトボール/陸上競技/ラグビーフットボール/文化活動について
口絵
年表
参考文献
あとがき

1889年の尼崎紡績創立から現在までのユニチカが歩んできた道程を紹介。世界や日本の時事も一緒に掲載していますので、当時の情勢を感じながらご覧いただけます。